強くありたい、そう思った。この宛名のない善意をありがたく食べさせてもらおう。
確かにバイキングには給仕はいません。しかしコックがいます。そして、そもそもお金がなきゃ店の中に入れません。さて、この文章の「コック」「お金」はなにを表しているでしょうか?
ほんと面白い人だ
考え方
〔自立〕〔教育〕
「宛名のない善意」の使い方。
self-help。手を伸ばせ。
感覚は合致するけどリアクションが少し……
きっと、強く、なれる。
強くありたい時に読もう
料理は我々が自分から食べに来るのを待っている。
弱者は強者に何を期待してるのか? 救って欲しいのか? 慰めてほしいのか? すべての弱者を救えるほどの強者は存在しない。慰めは何も生まない。結局は自分で何とかしなければならない。
米欄「地上最強のコック、それがケーシー・ライバック。」ちょw
「宛名のない善意」。コメントとかみてると、日本人はとにかくハングリーが足りなすぎるというのを実感するなあ。
求めよ、さらば与えられん
いまいち同意できない。
手足がないというより口がない、みたいな。それでも俺は叫ぶ、みたいな。
比喩も含めて適切。ブラボー。/しかし、西安の食卓で昆虫料理が並んでいておなかが減っていても手が出せないこともある。食べればおいしいのに、食べられない理由があるときがある。食べてしまえばなんともないが。
> 弱かった私が強くなれた原因は、特定の誰かが、私を特定して救ってくれたからではない。不特定の誰かが、不特定の誰かのために用意しておいてくれたものを、使うことが出来たからだ。
オープンソースのとらえ方とも言えるな。
必要なのは、自ら手をのばすこと
人生セルフサービス 弱かった私が強くなれた原因は不特定の誰かが不特定の誰かのために用意しておいてくれたものを使うことが出来たから
目を開けば周りに自分を助けてくれる素材がふんだんにあるというのは同意。ただ料理が沢山有りすぎて、どれに手を出してよいか分からない事と、料理を食べ過ぎてお腹いっぱいになっているという弊害もあり。難しいね
一人でバイキング行ってもつまんないよ!→周りに凄い人いっぱいいたほうが楽しいよ→やっぱ環境も重要じゃね?
ほんとにやさしい人ですね
久々に心打たれるエントリ。「宛名のない善意」
「宛名のない善意」この気付きは大事。出来るだけ多くの者がこれを活かせた方が全体の為にも良い。ただ、それを知ることのない、力を得られない者も確実にいる。相互理解への努力も欠かさずに
マッチョになりたければ、バイキングの料理は一通り皿に盛らないとダメって話。他人を食える人間でなけりゃ、成り上がれない。
かっこいいな
「宛名のない善意」、うまいこというねえ。
問題は(1)どんな組み合わせで食べるか(2)そもそも食べる気がない奴をどうするか。でも、「組み合わせ」が分かるようになる「食べ物」とか、食欲が出る「食べ物」とかもありそうだしな。
id:NOV1975 さんの反論は弾さんと前提が違う。id:REV さんの反論の方が弾さんには痛い。/専用のhelpに関してNOと言ってるだけ。/可能不可能の問題じゃない。殺るしかない。
バイキング中のdankogai、店外を知らず
「宛名のない善意」
ふむ…そうだ、弱者と強者の間には薄皮一枚ほどの壁も実はないしまた天地ほど離れてもいる、でいいじゃん。これはちょっと脳のバイパスをショートさせたら出来る見方ですよ。
"強者は自分が神でないことを知っている。だから彼らは身の程をわきまえて、テーブルに料理を置いていく以上のことはしない。それで十分ではないか。"
自助努力には同意。ただ、これは生き方のスタンスなんだろうけど、給仕や料理人にも多少なりとも感謝を表した方が良いかと。たとえサービス料込みだとしても。
「食べきれぬほどの料理が手をのばせば届くところにあるのに、なぜ給仕が来ないことを嘆き続けるのか」 チャンスはいくらでも転がってるのに愚痴を言うだけで何もしない人へのマッチョマンからのありがたいお言葉
『世の中には、「宛名のない善意」がいくらでもあり、そして今もなお増えているからだ。』←俺はtakeするために, giveします. 決して"give&given"ではない. そういうのは俺には少し重い. takeが一番しっくりくる...ひとりごと
「クララのバカ!何よ意気地なし!一人で立てないのを足のせいにして、足はちゃんとなおってるわ、クララの甘えん坊!恐がり!意気地なし!どうしてできないのよ、そんな事じゃ一生立てないわ!それでもいいの?」
質問とは何かを考えさせられた。弱い/強いの中で語られるものはいったいなにか。豊かさがあっても柔軟さが得られないのはどうしてなのか。手を伸ばす伸ばさないが問題ではないと思う。核はおそらく違うと思われる
↓小飼氏のスタートラインは,どうみても一般人より後ろだったと思うが/彼を羨み文句を言う人は,中学時代の彼と同じくらい本を読み,オン・ザ・エッジ入社前の彼と同じくらい働いてから文句を言うべきだ。
考えさせられる/結局は能力と環境によるのではと思う←こんなあげ足とりな反応しかできない自分にがっかりだ
404 Blog Not
id:Kukriが言うとおりこの「バイキングの料理」は奪い合うようなものではないよね。しかも、食べる人が多くなれば、給仕を黙って待っている人たちを支えることだって出来る。
そりゃスタートラインがフラットであればいいですよ。おっしゃるとおりですよ。/でもね、スタートラインからしてすでに違うというのが悲しい現実なのよと偉そうに私見丸出し。
「それよりも、料理の数をもう一品増やして取られるにまかせた方が、より多くの人がよりうまいものにありつけるではないか。」相変わらず表現が素晴らしい。もやもやが吹き飛ぶ。
これぐらい面の皮が厚くないとマッチョにはなれないってこと。おぐりんと同類だったんだな。
タイトルに惹かれた。また、バイキング式のレストランは好きだ。それから、待つのは嫌いだ。
Please help yourself. ってきいたときになにを手伝ったらいいんだろう?_? って勘違いしたらだめって話し(ぉ
インフラの使い方がわかる俺スゲーな話。皆が喜んで使うインフラって混むよね難民キャンプの如く。あと常につかえると限らないモノもあるよなあ。と。一定期間しか独占できないインフラを有効活用できるのも才能
よりよい未来を見つけるために手を伸ばす必要がある、その結果は分からないが。地位・肩書きは関係なくそのままの未来よりも良い未来を求めることは誰にでもできるだろう。bestは無理でもgoodを目指せるなら…
そもそもみんながバイキング式のレストランに行けるとは限らない
無償で使えるリソース(宛名のない善意)の拡大を社会の進歩と言うなら、その究極であるBI実現のために政治資金投下してはどうかと思った。/もっとも、タダなんだから俺が何書いてもDISるなと言いたいだけにも読めるが。
「宛名のない善意」。そうだよね…。
断公害はいいかげんスパム広告書評ブロガーになればいいとおもうよ! 腐れ精神論者はもうたくさんだ。
味見を繰り返して,栄養不足を補えたらいいのですが・・・.
404 Blog Not Found:バイキング式のレストランで給仕を待つ君たちへ
いつか自分も料理を作って、並べる側になりたいなあ。/ウィンプはそこに料理がある事を“認識出来ていない”のでは?/観察力と、何かをちょっと応用する事を念頭に行動すればいいのに。と思う。
この話ってこの人を叩いても何も解決しないよな。
この記事を思い出した→http://anond.hatelabo.jp/20070826235204
あー昔シリコンバレーのホテルのレストランの朝食でマジこれやった。バイキングに気付かずウェイティングパスーンひたすら待ってたw 内容はほぼ異論なし。でもやっぱりバイキングに気付かせる仕組みは必要だぞ
「俺はマザコン」まで読んだ。
バイキングの料理を利権や就職口と勘違いしてる奴多すぎ。しかも僻み根性丸出し。冒頭で引用された「自分ひとりで...」の奴も同じ。書店の本や、道路や電車を独占してるマッチョがどこにいる?
『「宛名のない善意」というのは、自らそれを使わなければ何も起こらないということ』
『宛名のない善意』
ドレスコードではねられそう
とはいえ、自ら手を伸ばすことができないほど弱っている人を放置しておくわけにもいかず、適切なサービスを教え示してくれる優秀な給仕も必要とされているのであります。
バイキングで取る手足もない人もいる。
なるほどね。/僕が持っている最大の武器は「出会いの才能」だけど、これは運がいいっていうことではなく、出会った人や物から有益なものを「引き出す」能力だと考えている。このエントリでいうなら料理の食べ方か。
私はこのエントリーを読んでも小飼さんがマッチョだと思えない。たぶん、現在の自分への満足感がそこに表れてしまっているからなのかもしれない……そう思った。
「必要なのは、自ら手をのばすこと、self-help なのである。」>天は自ら助くるものを助く。自律と自立のお話。
できる人にはできない理由がわからなくて、そしてわからなければならない責任もない。
バイキングはいかんよ。太るし。太るし。それに太るし。
「情報格差」の問題。ということは「情報格差」を埋めるための手段は何かということになる
>誰宛でもないけれども私を含めた誰でも使ってよい「宛名のない善意」。食べきれぬほどの料理が手をのばせば届くところにあるのに、なぜ給仕が来ないことを嘆き続けるのか。自己責任なんて大げさなものはいらない。
セルフヘルプで「宛名のない善意」へ。
その通りで、結局自分が動くかどうか。ただ、その動くに必要なハードルは下げてほしい。動けるマッチョから見れば、なぜできないのかわからないだろうが、ハードルは高い。
「宛名のない善意」という概念が良い、概念を持つことで見えなかった物も見えてくる可能性がある
Samuel Smiles 「天は自ら助くる者を助く」ってことだ
『必要なのは、自ら手をのばすこと、self-help なのである。』自助努力。
バイキング式レストランで、サーブスペースの皿が空になった時に「早くもってこいよ」と文句を言うのは大抵マッチョな人。私はむしろ、帰りに誰かと「あんま食べれなかったね」とラーメンすする人生でありたいなあ。
早く大人になれるといいですね。
ダンコーガイにも弱者だった時代があるんだよな。これが生まれながらにマッチョな環境だったら話は別だが、少なくてもそうでは無いことは分かった。あ、俺洗脳されつつある?
このエントリーの要約「わからん」。鋭い指摘で狼狽すると安倍晋三みたいに饒舌になるDan氏。
肉のテーブルの周りにはガチムチな人がいっぱい立ってて近づきがたい というか僕はそもそも肉を食いたくない あととってあげるよと言って食いきれないほど盛るやつは迷惑
単なる「弱肉強食」の言い換えになっていないだろうか? 動物の世界を掃除役や給仕の居るバイキングに昇華させたのが人間。バイキングにだって給仕は居る。
バイキングとは適切な比喩だ。おいしい肉料理の皿を身内で囲んで独占しているのに、その事実に目をつぶれる連中を人は「マッチョ」と呼ぶ。俺もいつかは自分の料理を他人に取り分けてあげる人間になりたいな。
同意。
なかなかいい文章を書くもんだ。この文章を読んで「ふんふん、そうだよな」と思う人はもう選ばれた人間なんだろうな。ところで「宛名のない悪意」を避けるにはどうしたらいいんですかね。
later
バイキングと気づかずに黙って座っている人にはここはバイキングなんですよと言って皿の料理を取り分けて一緒にニコニコ食べた方が楽しい。そしてその人が何故そうなのかは一律でもないことに思いいたる。比喩の限界
バイキング式レストランでは、食べきれないほど取るのはマナー違反ですよ
料理人の視点から。弾さんが給仕だったら、これを活用してビジネスをするのだろうか。
学校教育における洗脳を受けてないからかも。 でもなー、大半の人にとってこれは無理なんだよな。社会は階層化されているから。それでも、わかる奴だけ上がって来いっていうスタンスでもいいのかなぁ。
エスポワール号内でのビュッフェにしか見えない。でもマッチョにとっては普通のビュッフェ。見えている景色が違う。
弱かった私が強くなれた原因は、特定の誰かが、私を特定して救ってくれたからではない。不特定の誰かが、不特定の誰かのために用意しておいてくれたものを、使うことが出来たからだ。弱者はそれを使おうとしない
弱者はもっとがっつけ論。dankogaiは、がっついてマッチョ&ひげになった。
同意。文句を言う弱者は、例え手取り足取り、アーンとしてあげて食べさせたとしてもペッと吐き出してマズイと言うだけ。彼らは弱者の立場で文句言うのが好きなだけ。ただのメンヘル。
「宛名のない善意」 これは名言だ。 その善意のつかみ方を覚えていけばいいだけなんだ。
小麦アレルギーの人は、どれが小麦入りかわからないと、のたうち回るハメになるんですよ、たぶん。
恩人とは呼べないけど、生き様を見せてくれた方々の顔はやはり忘れられません。
切られたか自分で切ったかは別として、ウィンプはダルマなんですよ。岡すんどめとか氏賀Y太が描くような。テーブルまで5cmであってもそっちには行けないんですよ。わかったか。
給仕を呼ぶ方法はいくらでもあるのに、悪意をむき出しにして給仕をなじり、従業員を罵倒する人がなぜか弱者には多いよね。対立を招くだけで根本的な解決にはならないって言うのに。
ローリスクローリターンの人生か、ハイリスクハイリターンの人生かの二択ってことかな。
"こういった「宛名のない善意」というのは、自らそれを使わなければ何も起こらないということを。たとえ自分の目と鼻の先にそれがあっても、自分で手をのばさなければそれは存在しないも同様なのだ。"
うーん。マッチョは「手を伸ばせるのに伸ばさない人」と「伸ばす手がない人」の違いがわからないのかなあ。でも、前者に向けてのエントリとしては、いいことを言ってると思う。
「自己責任(self responsibility)なんて大げさなものはいらない。必要なのは、自ら手をのばすこと、self-help なのである。」同じ苦しみの中にあり、助かりたいと思うか、救われたいと思うかの差なのだろうか。
感謝すべき恩人がいなければ、神様に感謝しよう
失笑。
「料理の数をもう一品増やして取られるにまかせた方が、より多くの人がよりうまいものにありつける」
タフでなければ生きていけない.優しくなければ生きていく資格がない.
>勝手に読んで、その結果私が勝手に救われた
自助努力。自助努力。
ブクマの反応を見るにバイキングの喩えは微妙だったな・・・。/あ、結局弱者側の人は自分の過去にのみ拘っているのか。これからどうしようと思うかではなく。元々アドバイスなんて聞きつけないという事か。
大半の人は皸が痛くて料理を取るのも億劫。/所詮は皸。されど皸。
料理は確かにそこにあるのだが、給仕が自分のテーブルに並べてくれるわけではない。給仕は自分自身の仕事である。救いの手が現れないことを嘆くより、増えた料理がないかに目をこらす方がよほど楽ではないのか。
レストランで給仕しか見えてない人はそう考えるでしょうね
いつもの自己啓発
マイナス思考の人達に何言ってもどうしようもないと思うけど、ネットを使えてる時点で私達は強者だしチャンスなら無限にあると私は思うけどね。
どこかに大金が落ちてないかなとか、頭の良くなる薬はないかなとか、玉の輿に〜とか考えている人は弱者ではなく、単なるナマケモノ。
弱者に手を差し伸べたいとは日々思っているけれど、それでもダンコーガイ氏のこのエントリは全面的に同意。
もう色々と認めちゃえば良いのに/公立の図書館が無料で本を貸す意義すら問われ始めているのにね。
大広間に客が百人。パンは一斤。
あえて比喩表現に突っ込むと、金がないとバイキングは食べられないからなあ。宛名のない善意をあまねくすべての民草が享受できるわけでもなし。/下層民の動機付けをどうやるか、って話にもなってきそうで、実に厭。
「(道路や本など)「宛名のない善意」というのは、自ら使わなければ何も起こらない」「強者は自分が神でないことを知っている。だから彼らは身の程をわきまえて、テーブルに料理を置いていく以上のことはしない」
下手に手伸ばして腹壊す奴もいる、と。集団なんだしいくらかのBASタイプの人間とBISタイプの人間がいて、それでいいんじゃないかと思う。
なるほどね。ありがとう。思うことは全部ついったーに書いた。ついったーチェックしないと意味わからないから注意 http://twitter.com/marco11
「それが私にはわからないのだ」これは弾さんの正直な告白。問題は、「手を伸ばす」というその作法がわからないと言うことだと思う。目の前にあっても見えないものはたくさん。それを可視化するにはどうすればいいか
何かを気付く環境はあるわけで、後は気付くかどうかの問題でもあるな
ポイントは「給仕が」というより「食べほうだい」ではないかと思うのだが。筆者はギャル曽根が人気なわけを理解してるのか。とはいうもののあれは完全に狂信者のいいがかりだからなあ。店が潰れたって話も聞かないし
近代社会の大きな流れというのは、料理の数が増える代わりに、給仕の数が減るという言い方もできるのではないか。無料のインフラは時代とともに充実していく。/食べきれぬほどの料理が手をのばせば届くところにある
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はてなブックマークの中から「これはひどい」エントリーを取り上げて、Digg風に表示したサイトです。より人の為になるこれはすごいバージョンもあります。
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コメント
強くありたい、そう思った。この宛名のない善意をありがたく食べさせてもらおう。
確かにバイキングには給仕はいません。しかしコックがいます。そして、そもそもお金がなきゃ店の中に入れません。さて、この文章の「コック」「お金」はなにを表しているでしょうか?
ほんと面白い人だ
考え方
〔自立〕〔教育〕
「宛名のない善意」の使い方。
self-help。手を伸ばせ。
感覚は合致するけどリアクションが少し……
きっと、強く、なれる。
強くありたい時に読もう
料理は我々が自分から食べに来るのを待っている。
弱者は強者に何を期待してるのか? 救って欲しいのか? 慰めてほしいのか? すべての弱者を救えるほどの強者は存在しない。慰めは何も生まない。結局は自分で何とかしなければならない。
米欄「地上最強のコック、それがケーシー・ライバック。」ちょw
「宛名のない善意」。コメントとかみてると、日本人はとにかくハングリーが足りなすぎるというのを実感するなあ。
求めよ、さらば与えられん
いまいち同意できない。
手足がないというより口がない、みたいな。それでも俺は叫ぶ、みたいな。
比喩も含めて適切。ブラボー。/しかし、西安の食卓で昆虫料理が並んでいておなかが減っていても手が出せないこともある。食べればおいしいのに、食べられない理由があるときがある。食べてしまえばなんともないが。
> 弱かった私が強くなれた原因は、特定の誰かが、私を特定して救ってくれたからではない。不特定の誰かが、不特定の誰かのために用意しておいてくれたものを、使うことが出来たからだ。
オープンソースのとらえ方とも言えるな。
必要なのは、自ら手をのばすこと
人生セルフサービス 弱かった私が強くなれた原因は不特定の誰かが不特定の誰かのために用意しておいてくれたものを使うことが出来たから
目を開けば周りに自分を助けてくれる素材がふんだんにあるというのは同意。ただ料理が沢山有りすぎて、どれに手を出してよいか分からない事と、料理を食べ過ぎてお腹いっぱいになっているという弊害もあり。難しいね
一人でバイキング行ってもつまんないよ!→周りに凄い人いっぱいいたほうが楽しいよ→やっぱ環境も重要じゃね?
ほんとにやさしい人ですね
久々に心打たれるエントリ。「宛名のない善意」
「宛名のない善意」この気付きは大事。出来るだけ多くの者がこれを活かせた方が全体の為にも良い。ただ、それを知ることのない、力を得られない者も確実にいる。相互理解への努力も欠かさずに
マッチョになりたければ、バイキングの料理は一通り皿に盛らないとダメって話。他人を食える人間でなけりゃ、成り上がれない。
かっこいいな
「宛名のない善意」、うまいこというねえ。
問題は(1)どんな組み合わせで食べるか(2)そもそも食べる気がない奴をどうするか。でも、「組み合わせ」が分かるようになる「食べ物」とか、食欲が出る「食べ物」とかもありそうだしな。
id:NOV1975 さんの反論は弾さんと前提が違う。id:REV さんの反論の方が弾さんには痛い。/専用のhelpに関してNOと言ってるだけ。/可能不可能の問題じゃない。殺るしかない。
バイキング中のdankogai、店外を知らず
「宛名のない善意」
ふむ…そうだ、弱者と強者の間には薄皮一枚ほどの壁も実はないしまた天地ほど離れてもいる、でいいじゃん。これはちょっと脳のバイパスをショートさせたら出来る見方ですよ。
"強者は自分が神でないことを知っている。だから彼らは身の程をわきまえて、テーブルに料理を置いていく以上のことはしない。それで十分ではないか。"
自助努力には同意。ただ、これは生き方のスタンスなんだろうけど、給仕や料理人にも多少なりとも感謝を表した方が良いかと。たとえサービス料込みだとしても。
「食べきれぬほどの料理が手をのばせば届くところにあるのに、なぜ給仕が来ないことを嘆き続けるのか」 チャンスはいくらでも転がってるのに愚痴を言うだけで何もしない人へのマッチョマンからのありがたいお言葉
『世の中には、「宛名のない善意」がいくらでもあり、そして今もなお増えているからだ。』←俺はtakeするために, giveします. 決して"give&given"ではない. そういうのは俺には少し重い. takeが一番しっくりくる...ひとりごと
「クララのバカ!何よ意気地なし!一人で立てないのを足のせいにして、足はちゃんとなおってるわ、クララの甘えん坊!恐がり!意気地なし!どうしてできないのよ、そんな事じゃ一生立てないわ!それでもいいの?」
質問とは何かを考えさせられた。弱い/強いの中で語られるものはいったいなにか。豊かさがあっても柔軟さが得られないのはどうしてなのか。手を伸ばす伸ばさないが問題ではないと思う。核はおそらく違うと思われる
↓小飼氏のスタートラインは,どうみても一般人より後ろだったと思うが/彼を羨み文句を言う人は,中学時代の彼と同じくらい本を読み,オン・ザ・エッジ入社前の彼と同じくらい働いてから文句を言うべきだ。
考えさせられる/結局は能力と環境によるのではと思う←こんなあげ足とりな反応しかできない自分にがっかりだ
404 Blog Not
id:Kukriが言うとおりこの「バイキングの料理」は奪い合うようなものではないよね。しかも、食べる人が多くなれば、給仕を黙って待っている人たちを支えることだって出来る。
そりゃスタートラインがフラットであればいいですよ。おっしゃるとおりですよ。/でもね、スタートラインからしてすでに違うというのが悲しい現実なのよと偉そうに私見丸出し。
「それよりも、料理の数をもう一品増やして取られるにまかせた方が、より多くの人がよりうまいものにありつけるではないか。」相変わらず表現が素晴らしい。もやもやが吹き飛ぶ。
これぐらい面の皮が厚くないとマッチョにはなれないってこと。おぐりんと同類だったんだな。
タイトルに惹かれた。また、バイキング式のレストランは好きだ。それから、待つのは嫌いだ。
Please help yourself. ってきいたときになにを手伝ったらいいんだろう?_? って勘違いしたらだめって話し(ぉ
インフラの使い方がわかる俺スゲーな話。皆が喜んで使うインフラって混むよね難民キャンプの如く。あと常につかえると限らないモノもあるよなあ。と。一定期間しか独占できないインフラを有効活用できるのも才能
よりよい未来を見つけるために手を伸ばす必要がある、その結果は分からないが。地位・肩書きは関係なくそのままの未来よりも良い未来を求めることは誰にでもできるだろう。bestは無理でもgoodを目指せるなら…
そもそもみんながバイキング式のレストランに行けるとは限らない
無償で使えるリソース(宛名のない善意)の拡大を社会の進歩と言うなら、その究極であるBI実現のために政治資金投下してはどうかと思った。/もっとも、タダなんだから俺が何書いてもDISるなと言いたいだけにも読めるが。
「宛名のない善意」。そうだよね…。
断公害はいいかげんスパム広告書評ブロガーになればいいとおもうよ! 腐れ精神論者はもうたくさんだ。
味見を繰り返して,栄養不足を補えたらいいのですが・・・.
404 Blog Not Found:バイキング式のレストランで給仕を待つ君たちへ
いつか自分も料理を作って、並べる側になりたいなあ。/ウィンプはそこに料理がある事を“認識出来ていない”のでは?/観察力と、何かをちょっと応用する事を念頭に行動すればいいのに。と思う。
この話ってこの人を叩いても何も解決しないよな。
この記事を思い出した→http://anond.hatelabo.jp/20070826235204
あー昔シリコンバレーのホテルのレストランの朝食でマジこれやった。バイキングに気付かずウェイティングパスーンひたすら待ってたw 内容はほぼ異論なし。でもやっぱりバイキングに気付かせる仕組みは必要だぞ
「俺はマザコン」まで読んだ。
バイキングの料理を利権や就職口と勘違いしてる奴多すぎ。しかも僻み根性丸出し。冒頭で引用された「自分ひとりで...」の奴も同じ。書店の本や、道路や電車を独占してるマッチョがどこにいる?
『「宛名のない善意」というのは、自らそれを使わなければ何も起こらないということ』
『宛名のない善意』
ドレスコードではねられそう
とはいえ、自ら手を伸ばすことができないほど弱っている人を放置しておくわけにもいかず、適切なサービスを教え示してくれる優秀な給仕も必要とされているのであります。
バイキングで取る手足もない人もいる。
「宛名のない善意」
なるほどね。/僕が持っている最大の武器は「出会いの才能」だけど、これは運がいいっていうことではなく、出会った人や物から有益なものを「引き出す」能力だと考えている。このエントリでいうなら料理の食べ方か。
私はこのエントリーを読んでも小飼さんがマッチョだと思えない。たぶん、現在の自分への満足感がそこに表れてしまっているからなのかもしれない……そう思った。
「必要なのは、自ら手をのばすこと、self-help なのである。」>天は自ら助くるものを助く。自律と自立のお話。
できる人にはできない理由がわからなくて、そしてわからなければならない責任もない。
バイキングはいかんよ。太るし。太るし。それに太るし。
「情報格差」の問題。ということは「情報格差」を埋めるための手段は何かということになる
>誰宛でもないけれども私を含めた誰でも使ってよい「宛名のない善意」。食べきれぬほどの料理が手をのばせば届くところにあるのに、なぜ給仕が来ないことを嘆き続けるのか。自己責任なんて大げさなものはいらない。
セルフヘルプで「宛名のない善意」へ。
その通りで、結局自分が動くかどうか。ただ、その動くに必要なハードルは下げてほしい。動けるマッチョから見れば、なぜできないのかわからないだろうが、ハードルは高い。
「宛名のない善意」という概念が良い、概念を持つことで見えなかった物も見えてくる可能性がある
Samuel Smiles 「天は自ら助くる者を助く」ってことだ
『必要なのは、自ら手をのばすこと、self-help なのである。』自助努力。
バイキング式レストランで、サーブスペースの皿が空になった時に「早くもってこいよ」と文句を言うのは大抵マッチョな人。私はむしろ、帰りに誰かと「あんま食べれなかったね」とラーメンすする人生でありたいなあ。
早く大人になれるといいですね。
ダンコーガイにも弱者だった時代があるんだよな。これが生まれながらにマッチョな環境だったら話は別だが、少なくてもそうでは無いことは分かった。あ、俺洗脳されつつある?
このエントリーの要約「わからん」。鋭い指摘で狼狽すると安倍晋三みたいに饒舌になるDan氏。
肉のテーブルの周りにはガチムチな人がいっぱい立ってて近づきがたい というか僕はそもそも肉を食いたくない あととってあげるよと言って食いきれないほど盛るやつは迷惑
単なる「弱肉強食」の言い換えになっていないだろうか? 動物の世界を掃除役や給仕の居るバイキングに昇華させたのが人間。バイキングにだって給仕は居る。
バイキングとは適切な比喩だ。おいしい肉料理の皿を身内で囲んで独占しているのに、その事実に目をつぶれる連中を人は「マッチョ」と呼ぶ。俺もいつかは自分の料理を他人に取り分けてあげる人間になりたいな。
同意。
なかなかいい文章を書くもんだ。この文章を読んで「ふんふん、そうだよな」と思う人はもう選ばれた人間なんだろうな。ところで「宛名のない悪意」を避けるにはどうしたらいいんですかね。
later
バイキングと気づかずに黙って座っている人にはここはバイキングなんですよと言って皿の料理を取り分けて一緒にニコニコ食べた方が楽しい。そしてその人が何故そうなのかは一律でもないことに思いいたる。比喩の限界
バイキング式レストランでは、食べきれないほど取るのはマナー違反ですよ
料理人の視点から。弾さんが給仕だったら、これを活用してビジネスをするのだろうか。
学校教育における洗脳を受けてないからかも。 でもなー、大半の人にとってこれは無理なんだよな。社会は階層化されているから。それでも、わかる奴だけ上がって来いっていうスタンスでもいいのかなぁ。
エスポワール号内でのビュッフェにしか見えない。でもマッチョにとっては普通のビュッフェ。見えている景色が違う。
弱かった私が強くなれた原因は、特定の誰かが、私を特定して救ってくれたからではない。不特定の誰かが、不特定の誰かのために用意しておいてくれたものを、使うことが出来たからだ。弱者はそれを使おうとしない
弱者はもっとがっつけ論。dankogaiは、がっついてマッチョ&ひげになった。
同意。文句を言う弱者は、例え手取り足取り、アーンとしてあげて食べさせたとしてもペッと吐き出してマズイと言うだけ。彼らは弱者の立場で文句言うのが好きなだけ。ただのメンヘル。
「宛名のない善意」 これは名言だ。 その善意のつかみ方を覚えていけばいいだけなんだ。
小麦アレルギーの人は、どれが小麦入りかわからないと、のたうち回るハメになるんですよ、たぶん。
恩人とは呼べないけど、生き様を見せてくれた方々の顔はやはり忘れられません。
切られたか自分で切ったかは別として、ウィンプはダルマなんですよ。岡すんどめとか氏賀Y太が描くような。テーブルまで5cmであってもそっちには行けないんですよ。わかったか。
給仕を呼ぶ方法はいくらでもあるのに、悪意をむき出しにして給仕をなじり、従業員を罵倒する人がなぜか弱者には多いよね。対立を招くだけで根本的な解決にはならないって言うのに。
ローリスクローリターンの人生か、ハイリスクハイリターンの人生かの二択ってことかな。
"こういった「宛名のない善意」というのは、自らそれを使わなければ何も起こらないということを。たとえ自分の目と鼻の先にそれがあっても、自分で手をのばさなければそれは存在しないも同様なのだ。"
うーん。マッチョは「手を伸ばせるのに伸ばさない人」と「伸ばす手がない人」の違いがわからないのかなあ。でも、前者に向けてのエントリとしては、いいことを言ってると思う。
「自己責任(self responsibility)なんて大げさなものはいらない。必要なのは、自ら手をのばすこと、self-help なのである。」同じ苦しみの中にあり、助かりたいと思うか、救われたいと思うかの差なのだろうか。
感謝すべき恩人がいなければ、神様に感謝しよう
いつか自分も料理を作って、並べる側になりたいなあ。/ウィンプはそこに料理がある事を“認識出来ていない”のでは?/観察力と、何かをちょっと応用する事を念頭に行動すればいいのに。と思う。
失笑。
「料理の数をもう一品増やして取られるにまかせた方が、より多くの人がよりうまいものにありつける」
タフでなければ生きていけない.優しくなければ生きていく資格がない.
>勝手に読んで、その結果私が勝手に救われた
自助努力。自助努力。
ブクマの反応を見るにバイキングの喩えは微妙だったな・・・。/あ、結局弱者側の人は自分の過去にのみ拘っているのか。これからどうしようと思うかではなく。元々アドバイスなんて聞きつけないという事か。
大半の人は皸が痛くて料理を取るのも億劫。/所詮は皸。されど皸。
料理は確かにそこにあるのだが、給仕が自分のテーブルに並べてくれるわけではない。給仕は自分自身の仕事である。救いの手が現れないことを嘆くより、増えた料理がないかに目をこらす方がよほど楽ではないのか。
レストランで給仕しか見えてない人はそう考えるでしょうね
いつもの自己啓発
マイナス思考の人達に何言ってもどうしようもないと思うけど、ネットを使えてる時点で私達は強者だしチャンスなら無限にあると私は思うけどね。
どこかに大金が落ちてないかなとか、頭の良くなる薬はないかなとか、玉の輿に〜とか考えている人は弱者ではなく、単なるナマケモノ。
弱者に手を差し伸べたいとは日々思っているけれど、それでもダンコーガイ氏のこのエントリは全面的に同意。
もう色々と認めちゃえば良いのに/公立の図書館が無料で本を貸す意義すら問われ始めているのにね。
大広間に客が百人。パンは一斤。
あえて比喩表現に突っ込むと、金がないとバイキングは食べられないからなあ。宛名のない善意をあまねくすべての民草が享受できるわけでもなし。/下層民の動機付けをどうやるか、って話にもなってきそうで、実に厭。
「(道路や本など)「宛名のない善意」というのは、自ら使わなければ何も起こらない」「強者は自分が神でないことを知っている。だから彼らは身の程をわきまえて、テーブルに料理を置いていく以上のことはしない」
下手に手伸ばして腹壊す奴もいる、と。集団なんだしいくらかのBASタイプの人間とBISタイプの人間がいて、それでいいんじゃないかと思う。
なるほどね。ありがとう。思うことは全部ついったーに書いた。ついったーチェックしないと意味わからないから注意 http://twitter.com/marco11
「それが私にはわからないのだ」これは弾さんの正直な告白。問題は、「手を伸ばす」というその作法がわからないと言うことだと思う。目の前にあっても見えないものはたくさん。それを可視化するにはどうすればいいか
何かを気付く環境はあるわけで、後は気付くかどうかの問題でもあるな
ポイントは「給仕が」というより「食べほうだい」ではないかと思うのだが。筆者はギャル曽根が人気なわけを理解してるのか。とはいうもののあれは完全に狂信者のいいがかりだからなあ。店が潰れたって話も聞かないし
近代社会の大きな流れというのは、料理の数が増える代わりに、給仕の数が減るという言い方もできるのではないか。無料のインフラは時代とともに充実していく。/食べきれぬほどの料理が手をのばせば届くところにある