marketing
普通の感性は、「こだわってない」「なんでもいい」の間のどこかにある。
「これ"で"いい」/無印のuser experienceに関する取り組みは要注目。
kataruさんおすすめエントリ
"普通"すぎると普通ではなくなってしまう、ちょうど無印ユニクロで全身揃えたときのような感じ
「最高の最低限」 非常に日本的で良い
うまい。
ユニクロも無印もブランドで買わない層に,買わないモノを売るブランドだった様な気もするけど…。非ブランドブランドというか,ブランドとメーカというか…。何を消費者に意識させるかが難しい気がする。
ブランディングについての考察
同じように見えるユニクロと無印の、方向性の違いについて。
素晴らしい考察
「これでいい」というコンセプトは、単にシンプルということではなく、「最高の最低限」を狙っている。
良い考察。
無印のこれでいいは初めて知った。ユニクロと無印のようにコンセプトが明確なのはまだ良い方かもしれない。コンセプトもあやふやで迷走しているブランドよりは。
?? めんどくさい
両社を受け入れたのは、「(中途半端な)作為なんていらない」という感性だ。ユニクロと無印の経営理念およびマーケティングについて。
おもしろい意見
ただの無作為ではない、『作為的な無作為』によって生み出されたデザイン。コンセプトがない無作為はただの野蛮に陥りがち。
「普通の感性は、「こだわってない」「なんでもいい」の間のどこかにある。そんな普通の人たちの感性が、ユニクロと無印を育てたのだと思う。」どっちも好きだ
最近表面をこねくりまわして意味のない記号をつけているデザインが多くないか。シンプル。普通の感性を捉えることは、非常に難しい。
ユニクロは記号性を高め、流行を発信しようとしている。
最近の両者の方向性はいいよ。ユニクロは商品デザインはまだ模索中っぽいけど。
: 無印とユニクロ
「これでいい」を言い出せるっていうのはすごいよな。個人的に、どこかで買ってきたものにやけにこだわり持ってるのはどうも恥ずかしいのでそこらへんよくわかる気がする。
服がユニクロでも靴とかばんをしっかりするとおされに見えるから不思議
ユニクロと無印、「両社を受け入れたのは、『(中途半端な)作為なんていらない』という感性だ。」
『「(中途半端な)作為なんていらない」という感性』
無印のコンセプト「これがいい、より、これでいい」の導入...最近2万円台の洗濯機を買ったけど、選んだ理由が、見た目のシンプルさ+機能的に「これで十分」だったっけ...
//結果として、ユニクロは「普通とは遅れてきた最先端だ」と定義しているように見えるし、無印では「普通とは高いレベルの『これでいい』のことである」としたようだ。//
これは名エントリ
まあそんなもんでないか
「これがいい」ではなく「これでいい」
居酒屋チェーンは、いくつかのコンセプトで店を分け調整→アパレル系だとLVMHがそう。ヴィトンを中核にしながらも、様々なブランドが傘下にあり、あのブランドも同じグループなのっていうのがたくさんありますからね
「消費者のスケールからすると、自分の身の回りで「かぶり」、それであることが「ばれる」ようになると黄信号。「笑われる」ようになるとアウト。」
海外の友達が日本に来て「しまむらサイコー!」つって買い込んでいるのをみると、ユニクロ恥ずかしいとか言ってるのはバカらしくなってくる。普通ってなんだ。
>普通の感性は、「こだわってない」「なんでもいい」の間のどこかにある。
コンセプト ブランド 戦略
コンセプトを別けているつもりの居酒屋が母体が同じであるために製品の差別化が出来ず結局は袋小路に陥っているのが本当のところなんだけど。あと、コンセプト云々すら超越した化け物「しまむら」の存在も。
普通の人のスケールで見てどういう状態にあるか。繊細だが、大切にすべきことと思う。
//居酒屋チェーンは母体を同じくしながら、いくつかのコンセプトで店を分ける
無印という印のあるブランド
ユニクロと無印良品。
ユニクロも無印も好きでよく着る。最近たしかに舵を切り始めてるなと感じるネ
「無個性である」という個性。「デザインしない」というデザイン。「邪魔にならない」という存在感。「無着色」という色。「同じことはしない」という繰り返し……。
こういうのはそのうち生活雑貨・ファッションだけに留まらなくなってくるんじゃないかな
ユニクロも無印も大好きだ
創造性の省略は優れた製品につながらないことを学びました
オシャレな方向に進もうとするユニクロとシンプルさを追求する無印。「これがいい」と「これでいい」。
それぞれの観点から「普通」を目指すユニクロと無印。ただ実際問題として、ユニクロ尽くめとか無印尽くめというのは普通じゃない感じがする。
そうだけどデザインどうのよりデブ向けしか売ってないのがまず終わってる。あと、実は探してみれ特別安い訳じゃない。しかももっと今風の奴が。
「「こだわってない」ということと、「なんでもいい」というのは全く異なる。普通の感性は、「こだわってない」「なんでもいい」の間のどこかにある。」
世には「別にそれほどこだわってない」普通の人達が多くいる。ただ、「こだわってない」という事と、「なんでもいい」というのは全く異なる。普通の感性は、「こだわってない」「なんでもいい」の間のどこかにある
結果として、ユニクロは「普通とは遅れてきた最先端だ」と定義しているように見えるし、無印では「普通とは高いレベルの『これでいい』のことである」としたようだ。
MUG(無印・ユニクロ・GAP)の俺としては見過ごせないエントリ。
"これでいい"のコンセプトはすげーな
H&Mが上陸する来年どう動くか見もの。
記号消費の正規分布の中央付近にフォーカスをあてているのがユニクロ&無印良品、と理解する。ただ、そのポイントへのアプローチに違いがあるとは感じる。
"ユニクロは「普通とは遅れてきた最先端だ」と定義しているように見えるし、無印では「普通とは高いレベルの『これでいい』のことである」としたようだ。"
無印は「これでいい」をブランド化しようとしてる。ある意味80年代西武の継承。ユニクロのデザイン戦略はより植民地主義的(カラオケ)。海外現地法人が独自企画をどれだけ立ち上げれるかが課題
"よく居酒屋チェーンは母体を同じくしながら、いくつかのコンセプトで店を分け同じ名前の店が増えすぎないように調整したりするが、それを見習うべきだったのかもしれない。"
そう、「MUJI」はバカボンのパパだね。 「これでいいのだ。」 主役のようであって主役でない。
「見え方」のハンドリング
普通の消費者が考えるブランドイメージと、供給側の理想のブランドイメージの差異をなくしていく
そこそこでいいけれど、人と被るのはイヤ、というワガママな消費者のニーズを捉えていく(あるいは作っていく)のは大変なことですね…
過去の分析がちょっと弱い。無印の"記号性の排除という記号性"は相当初期から意識されているものだし、ユニクロ(原宿出店後しばらく)については経済停滞期での安さという訴求力もあった。
結局、マスの商売をするとなんでも記号としてみてしまう人にも売らざるを得ない。そうするともののみならずシニフィエもたまに刷新しなければならないし、マスはずっとこれが続くのかな。
両社を受け入れたのは、「(中途半端な)作為なんていらない」という感性だ。
消費者の“普通"をどう想像する?
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コメント
marketing
普通の感性は、「こだわってない」「なんでもいい」の間のどこかにある。
「これ"で"いい」/無印のuser experienceに関する取り組みは要注目。
kataruさんおすすめエントリ
"普通"すぎると普通ではなくなってしまう、ちょうど無印ユニクロで全身揃えたときのような感じ
「最高の最低限」 非常に日本的で良い
うまい。
ユニクロも無印もブランドで買わない層に,買わないモノを売るブランドだった様な気もするけど…。非ブランドブランドというか,ブランドとメーカというか…。何を消費者に意識させるかが難しい気がする。
ブランディングについての考察
同じように見えるユニクロと無印の、方向性の違いについて。
素晴らしい考察
「これでいい」というコンセプトは、単にシンプルということではなく、「最高の最低限」を狙っている。
良い考察。
無印のこれでいいは初めて知った。ユニクロと無印のようにコンセプトが明確なのはまだ良い方かもしれない。コンセプトもあやふやで迷走しているブランドよりは。
?? めんどくさい
両社を受け入れたのは、「(中途半端な)作為なんていらない」という感性だ。ユニクロと無印の経営理念およびマーケティングについて。
おもしろい意見
ただの無作為ではない、『作為的な無作為』によって生み出されたデザイン。コンセプトがない無作為はただの野蛮に陥りがち。
「普通の感性は、「こだわってない」「なんでもいい」の間のどこかにある。そんな普通の人たちの感性が、ユニクロと無印を育てたのだと思う。」どっちも好きだ
最近表面をこねくりまわして意味のない記号をつけているデザインが多くないか。シンプル。普通の感性を捉えることは、非常に難しい。
ユニクロは記号性を高め、流行を発信しようとしている。
最近の両者の方向性はいいよ。ユニクロは商品デザインはまだ模索中っぽいけど。
: 無印とユニクロ
「これでいい」を言い出せるっていうのはすごいよな。個人的に、どこかで買ってきたものにやけにこだわり持ってるのはどうも恥ずかしいのでそこらへんよくわかる気がする。
服がユニクロでも靴とかばんをしっかりするとおされに見えるから不思議
ユニクロと無印、「両社を受け入れたのは、『(中途半端な)作為なんていらない』という感性だ。」
『「(中途半端な)作為なんていらない」という感性』
無印のコンセプト「これがいい、より、これでいい」の導入...最近2万円台の洗濯機を買ったけど、選んだ理由が、見た目のシンプルさ+機能的に「これで十分」だったっけ...
//結果として、ユニクロは「普通とは遅れてきた最先端だ」と定義しているように見えるし、無印では「普通とは高いレベルの『これでいい』のことである」としたようだ。//
これは名エントリ
まあそんなもんでないか
「これがいい」ではなく「これでいい」
居酒屋チェーンは、いくつかのコンセプトで店を分け調整→アパレル系だとLVMHがそう。ヴィトンを中核にしながらも、様々なブランドが傘下にあり、あのブランドも同じグループなのっていうのがたくさんありますからね
「消費者のスケールからすると、自分の身の回りで「かぶり」、それであることが「ばれる」ようになると黄信号。「笑われる」ようになるとアウト。」
海外の友達が日本に来て「しまむらサイコー!」つって買い込んでいるのをみると、ユニクロ恥ずかしいとか言ってるのはバカらしくなってくる。普通ってなんだ。
>普通の感性は、「こだわってない」「なんでもいい」の間のどこかにある。
コンセプト ブランド 戦略
コンセプトを別けているつもりの居酒屋が母体が同じであるために製品の差別化が出来ず結局は袋小路に陥っているのが本当のところなんだけど。あと、コンセプト云々すら超越した化け物「しまむら」の存在も。
普通の人のスケールで見てどういう状態にあるか。繊細だが、大切にすべきことと思う。
//居酒屋チェーンは母体を同じくしながら、いくつかのコンセプトで店を分ける
無印という印のあるブランド
ユニクロと無印良品。
ユニクロも無印も好きでよく着る。最近たしかに舵を切り始めてるなと感じるネ
「無個性である」という個性。「デザインしない」というデザイン。「邪魔にならない」という存在感。「無着色」という色。「同じことはしない」という繰り返し……。
こういうのはそのうち生活雑貨・ファッションだけに留まらなくなってくるんじゃないかな
ユニクロも無印も大好きだ
創造性の省略は優れた製品につながらないことを学びました
オシャレな方向に進もうとするユニクロとシンプルさを追求する無印。「これがいい」と「これでいい」。
それぞれの観点から「普通」を目指すユニクロと無印。ただ実際問題として、ユニクロ尽くめとか無印尽くめというのは普通じゃない感じがする。
そうだけどデザインどうのよりデブ向けしか売ってないのがまず終わってる。あと、実は探してみれ特別安い訳じゃない。しかももっと今風の奴が。
「「こだわってない」ということと、「なんでもいい」というのは全く異なる。普通の感性は、「こだわってない」「なんでもいい」の間のどこかにある。」
世には「別にそれほどこだわってない」普通の人達が多くいる。ただ、「こだわってない」という事と、「なんでもいい」というのは全く異なる。普通の感性は、「こだわってない」「なんでもいい」の間のどこかにある
結果として、ユニクロは「普通とは遅れてきた最先端だ」と定義しているように見えるし、無印では「普通とは高いレベルの『これでいい』のことである」としたようだ。
MUG(無印・ユニクロ・GAP)の俺としては見過ごせないエントリ。
"これでいい"のコンセプトはすげーな
H&Mが上陸する来年どう動くか見もの。
記号消費の正規分布の中央付近にフォーカスをあてているのがユニクロ&無印良品、と理解する。ただ、そのポイントへのアプローチに違いがあるとは感じる。
"ユニクロは「普通とは遅れてきた最先端だ」と定義しているように見えるし、無印では「普通とは高いレベルの『これでいい』のことである」としたようだ。"
無印は「これでいい」をブランド化しようとしてる。ある意味80年代西武の継承。ユニクロのデザイン戦略はより植民地主義的(カラオケ)。海外現地法人が独自企画をどれだけ立ち上げれるかが課題
"よく居酒屋チェーンは母体を同じくしながら、いくつかのコンセプトで店を分け同じ名前の店が増えすぎないように調整したりするが、それを見習うべきだったのかもしれない。"
そう、「MUJI」はバカボンのパパだね。 「これでいいのだ。」 主役のようであって主役でない。
「見え方」のハンドリング
普通の消費者が考えるブランドイメージと、供給側の理想のブランドイメージの差異をなくしていく
そこそこでいいけれど、人と被るのはイヤ、というワガママな消費者のニーズを捉えていく(あるいは作っていく)のは大変なことですね…
過去の分析がちょっと弱い。無印の"記号性の排除という記号性"は相当初期から意識されているものだし、ユニクロ(原宿出店後しばらく)については経済停滞期での安さという訴求力もあった。
結局、マスの商売をするとなんでも記号としてみてしまう人にも売らざるを得ない。そうするともののみならずシニフィエもたまに刷新しなければならないし、マスはずっとこれが続くのかな。
両社を受け入れたのは、「(中途半端な)作為なんていらない」という感性だ。
消費者の“普通"をどう想像する?