世の中で正しいとされるお手本のような感じ。さも理解のあるような顔して正論を突きつけられるのは凄く不愉快だ。
communication
目くそ鼻くそを笑う
>ひがみ妬みの類を見せ付けられて胸糞悪くなる人間もいるのは認識してるのかね。不幸になるのは幸せになるよりずっと簡単なことなんだ。別にお前も戦えとは言わん。だが戦ってる人間の邪魔をするな。
他人攻撃するなっていうけど、ネットの良さは実社会だとまず批判されないこと(個人史の終焉)が批判され(hashigotan)、その批判もまた批判され(今ここ)おおよそ誰もが共感できる文章にふれることができることでは?
妥当なところ。
「お前らのどろどろねっとりした感情を幸せな人にぶつけにいくなよ、わざわざ / 子供を産むということは、とんでもなく苛烈なストレスに晒されるのだ。「背負ってるものが違う」ことだけは忘れるな。」
つまり、君たちから我々が努力して奪うというのはいいんだな。パイは有限なんだ、F1レースに戦車で出てはいけないという道理はない。
不幸になるのは簡単だけど、幸せになるのはもっともっと簡単だにゃ。多分、難しいのは「不幸を手放すこと」にゃ。もっと楽に幸せの中に入れればいいのにね。
他人をなめた、「自分とは違う」人は人とも思わない言説は両陣営見られて、見る度すごく嫌です。
シンプルに考えてみよう。ネガティブから生まれる充足感はあぶく銭のそれに近いのでは。/なんとなくだが、乙武洋匡氏のブログ炎上の件を思い出した
幸福が僥倖の結果ではなく努力の賜物だと考えた時点で人は傲慢になる。それを守るためなら蜘蛛の糸を平気でぶち切るようになる。そして皆が自分の幸福のために必死な総不幸社会ができる。万人の万人に対する闘争。
乗っかってる物語が違う。と思った。
「彼らはお前らが思ってる程簡単に幸せになったわけじゃない」
どの場所にもそれなりの「幸せ」と「不幸」が。で、みんな折り合ったり受け流したり見ないようにしたり、人によっては戦ったりするんだよ。
フリーターの私に「いやー仕事がいそがしくてさw」とニヤニヤしながら愚痴こぼしてくる商社マンの知り合いがいたような気がするけど最近会ってない。
これblog公開記事にたいする反応だよね。そういうのは個人攻撃とはいわないと思う。意見を公開するということはネガティブな反応だって甘受する覚悟が当然あるってこと。その覚悟が無いなら公開しない以外に手はない
人間ってのはうまくできててさ、自分が受けた痛みを計るときは、ココロのハカリのメモリが1つだけ増えるんだよ。だから、「同じだけの痛み」を返し合ってると、すぐ無限大まで行っちまう。
唐突ですが「「適応」「決断主義」がどんだけの男女を無気力にさせてるか少しは考えろ」なんてネタを思いつきました。
cf.< http://d.hatena.ne.jp/hrkt0115311/20071111/1194739922 >
子供が居る人も居ない人も同じ命で同じく生きやすい世界にしてゆく権利はある。苦痛を与えられたらそれと同じ分を返してもいいんじゃないですか
ジョジョ、それは無理矢理分かり合おうとするからだよ。逆に考えるんだ、「泥水かけられたっていいさ」と考えるんだ
いつもおもうんだが嫌なら見るなって無理。読んでしまったそのときにはじめて嫌ってわかるんだから。どこに嫌なもの転がってるかわからん。
F1で戦う力も無い草レーサーが、頑張って努力してF1のスタートラインに立った奴に泥水浴びせるような真似、許されるはずがないだろう。→ 言い記事だけど、タイトルの「非モテ」「童貞」とはあまり関係ありません
不幸な人だって、「不幸である自分」と毎日戦っているのにね。
その標題でエントリ書くのはある意味安易ってもんだろうな、とは思う。世の中には「売り言葉に買い言葉」という表現がございましてな。
不毛って一言に付きる。気の利いた一言浮かばなくて編集も消しまくった…
がんばって、苦労して、幸せになってくださいね。私はその体験談を読んでローコストで幸せになろうと思います。/もっとみんな虚構で生きればいいのに。
誰かを呪ってもいい理由なんて何一つ認めません。相手の不幸話を聞くと怯むけど、それでも私は認めません。 お互いを不幸にする行為は絶対悪だ。
基本的に同意。 『だが「背負ってるものが違う」ことだけは忘れるな。 』にはてなスター付けたくてたまらん。 でも、はてブの要約は違うんじゃないのかと思った。
素敵エントリ
基本的に正しい。人の幸せを攻撃する気は更々無いが、非モテについて語るくらいはいいよね?こっちはこっちで真剣なんだよ。何で自分が世界とズレてるかわからんのだから。一人で死ぬ覚悟って相当怖いんだ。
文盲という天性の幸福をお持ちのようでなによりでございますな。
楽しいバス旅行でエチケット袋を使ったら、その袋を正義の名の下にブチ破られましたという素晴らしい光景。
hashigotan と after game over について。正論なんだ……同意なんだけど……うごごごごごご、っていう気持ち。//被害者が加害者に転ずるという問題はどうにかならないだろうか。悲しすぎる。
タイトルはともかく内容には頷ける点が多い。
彼女のは痛みに対する叫びなんだと思う。叫びが人を不快にさせるのがわかっていたとしてもそれを止める事は出来ない
ルサンチマンで生きるより己の肩上の天使を感じよ。
幸せそうに見えても、人はそれぞれ他人には理解できないような重荷を背負ってる。それが分かればやさしくなれる。つらくても攻撃しないで、ただ「助けて」って言えばいいんだと思う。
だなぁ
まあ、相互理解が困難なのはよく判る。
だから、「あの人達だって大変なんだよ」って言ってもDISった相手はその立場じゃないんだから理解できないっしょ
なんだかあっちとこっちの間には超えられない壁があるのかという気がしてきました
『不幸になるのは幸せになるよりずっと簡単』『お前も戦えとは言わん。だが戦ってる人間の邪魔をするな』『「背負ってるものが違う」ことだけは忘れるな。』 ('A`) ・・・全気力が萎えた。
名指し言及は「Fuck!」ではないと:逆に言うと、問題点はそこだけだよな
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世の中で正しいとされるお手本のような感じ。さも理解のあるような顔して正論を突きつけられるのは凄く不愉快だ。
communication
目くそ鼻くそを笑う
>ひがみ妬みの類を見せ付けられて胸糞悪くなる人間もいるのは認識してるのかね。不幸になるのは幸せになるよりずっと簡単なことなんだ。別にお前も戦えとは言わん。だが戦ってる人間の邪魔をするな。
他人攻撃するなっていうけど、ネットの良さは実社会だとまず批判されないこと(個人史の終焉)が批判され(hashigotan)、その批判もまた批判され(今ここ)おおよそ誰もが共感できる文章にふれることができることでは?
妥当なところ。
目くそ鼻くそを笑う
「お前らのどろどろねっとりした感情を幸せな人にぶつけにいくなよ、わざわざ / 子供を産むということは、とんでもなく苛烈なストレスに晒されるのだ。「背負ってるものが違う」ことだけは忘れるな。」
つまり、君たちから我々が努力して奪うというのはいいんだな。パイは有限なんだ、F1レースに戦車で出てはいけないという道理はない。
不幸になるのは簡単だけど、幸せになるのはもっともっと簡単だにゃ。多分、難しいのは「不幸を手放すこと」にゃ。もっと楽に幸せの中に入れればいいのにね。
他人をなめた、「自分とは違う」人は人とも思わない言説は両陣営見られて、見る度すごく嫌です。
シンプルに考えてみよう。ネガティブから生まれる充足感はあぶく銭のそれに近いのでは。/なんとなくだが、乙武洋匡氏のブログ炎上の件を思い出した
幸福が僥倖の結果ではなく努力の賜物だと考えた時点で人は傲慢になる。それを守るためなら蜘蛛の糸を平気でぶち切るようになる。そして皆が自分の幸福のために必死な総不幸社会ができる。万人の万人に対する闘争。
乗っかってる物語が違う。と思った。
「彼らはお前らが思ってる程簡単に幸せになったわけじゃない」
どの場所にもそれなりの「幸せ」と「不幸」が。で、みんな折り合ったり受け流したり見ないようにしたり、人によっては戦ったりするんだよ。
フリーターの私に「いやー仕事がいそがしくてさw」とニヤニヤしながら愚痴こぼしてくる商社マンの知り合いがいたような気がするけど最近会ってない。
これblog公開記事にたいする反応だよね。そういうのは個人攻撃とはいわないと思う。意見を公開するということはネガティブな反応だって甘受する覚悟が当然あるってこと。その覚悟が無いなら公開しない以外に手はない
人間ってのはうまくできててさ、自分が受けた痛みを計るときは、ココロのハカリのメモリが1つだけ増えるんだよ。だから、「同じだけの痛み」を返し合ってると、すぐ無限大まで行っちまう。
唐突ですが「「適応」「決断主義」がどんだけの男女を無気力にさせてるか少しは考えろ」なんてネタを思いつきました。
cf.< http://d.hatena.ne.jp/hrkt0115311/20071111/1194739922 >
子供が居る人も居ない人も同じ命で同じく生きやすい世界にしてゆく権利はある。苦痛を与えられたらそれと同じ分を返してもいいんじゃないですか
ジョジョ、それは無理矢理分かり合おうとするからだよ。逆に考えるんだ、「泥水かけられたっていいさ」と考えるんだ
いつもおもうんだが嫌なら見るなって無理。読んでしまったそのときにはじめて嫌ってわかるんだから。どこに嫌なもの転がってるかわからん。
F1で戦う力も無い草レーサーが、頑張って努力してF1のスタートラインに立った奴に泥水浴びせるような真似、許されるはずがないだろう。→ 言い記事だけど、タイトルの「非モテ」「童貞」とはあまり関係ありません
不幸な人だって、「不幸である自分」と毎日戦っているのにね。
その標題でエントリ書くのはある意味安易ってもんだろうな、とは思う。世の中には「売り言葉に買い言葉」という表現がございましてな。
不毛って一言に付きる。気の利いた一言浮かばなくて編集も消しまくった…
がんばって、苦労して、幸せになってくださいね。私はその体験談を読んでローコストで幸せになろうと思います。/もっとみんな虚構で生きればいいのに。
誰かを呪ってもいい理由なんて何一つ認めません。相手の不幸話を聞くと怯むけど、それでも私は認めません。 お互いを不幸にする行為は絶対悪だ。
基本的に同意。 『だが「背負ってるものが違う」ことだけは忘れるな。 』にはてなスター付けたくてたまらん。 でも、はてブの要約は違うんじゃないのかと思った。
素敵エントリ
基本的に正しい。人の幸せを攻撃する気は更々無いが、非モテについて語るくらいはいいよね?こっちはこっちで真剣なんだよ。何で自分が世界とズレてるかわからんのだから。一人で死ぬ覚悟って相当怖いんだ。
文盲という天性の幸福をお持ちのようでなによりでございますな。
楽しいバス旅行でエチケット袋を使ったら、その袋を正義の名の下にブチ破られましたという素晴らしい光景。
hashigotan と after game over について。正論なんだ……同意なんだけど……うごごごごごご、っていう気持ち。//被害者が加害者に転ずるという問題はどうにかならないだろうか。悲しすぎる。
タイトルはともかく内容には頷ける点が多い。
彼女のは痛みに対する叫びなんだと思う。叫びが人を不快にさせるのがわかっていたとしてもそれを止める事は出来ない
ルサンチマンで生きるより己の肩上の天使を感じよ。
幸せそうに見えても、人はそれぞれ他人には理解できないような重荷を背負ってる。それが分かればやさしくなれる。つらくても攻撃しないで、ただ「助けて」って言えばいいんだと思う。
だなぁ
まあ、相互理解が困難なのはよく判る。
だから、「あの人達だって大変なんだよ」って言ってもDISった相手はその立場じゃないんだから理解できないっしょ
なんだかあっちとこっちの間には超えられない壁があるのかという気がしてきました
『不幸になるのは幸せになるよりずっと簡単』『お前も戦えとは言わん。だが戦ってる人間の邪魔をするな』『「背負ってるものが違う」ことだけは忘れるな。』 ('A`) ・・・全気力が萎えた。
名指し言及は「Fuck!」ではないと:逆に言うと、問題点はそこだけだよな