人のこと言えないけど、みんな構造主義とポスト構造主義とか脱構築についてわかって言ってるんだろうか。誰かあざやかに、虐殺とその論争について脱構築したらなあ。
これ、何にたいする応答?
はてっサ・リンチ
暴れるはてな民こわいよこわいよ(笑) /昔は一般市民30万虐殺説を否定するだけでも、もっと酷い有り様だったのを思い出した /イデオロギーの上下左右はともかく、普通に会話できない人たちとは近づきたくないな
「現地」を訪れることが無意味とは言わない。しかし、一定の留保つきとはいえ記念館を訪れた程度で「実感」がないというのは、逆に安易であり素朴に過ぎると言われても仕方がないのでは。
正直
なんていうか、東さんの言ってることはわかる気がするんだけど。すごい普通のこと言ってるよね?伝わりにくいのは、なんでやろう……焦ってばばっと言わはるからだろうか。
アウシュヴィッツに行った時、あの有名な鉄道引込線が60年代に敷設されたレプリカと気付いた。でも、それを知ったからといって歴史認識を変える必要はない。実体験をベースとして論理を構築するのが苦手な人なのかな
新たな局面
この人は嫌韓流も容認だっけ?なぜにこうなる?その理由がポストモダンならポストモダンなどいらない。東は今流行の歴史修正主義に色目を使うことで、何かの利益(=人気)を得ようとしているとしか思えない。
ていうか、単純に「正確に説明はできないけどさぁ学者じゃないから」とかそういうレベルの文脈の発言だったんじゃないのかな、なんでそういう話になるのかな。
この態度って、ポストモダンリベラルよりも、エスノメソドロジーと言えばいい気がする。
ポストモダン的な態度についての説明なら、「南京事件」じゃなく「歴代天皇は何代目までウソッパチか問題」に対する態度で喩えたらよかったのかも。あ、でも炎上はしづらくてもヒットマン送られる可能性は上がるか。
たぶん転向したくてたまらないのかな。
まだよくは読んでないけど、博物館行って「実感」で語るのは学部生のレポートでもできるよなあ。歴史学的な問題に対して脇が甘すぎる観がある。
http://www.hirokiazuma.com/archives/000465.html
この程度の知識で南京虐殺について語ることができるなら、私もポストモダンについて語るとしようか。体感で。
荒れてるねぇ
体感でいうなら、自分の皮膚の上、1mmくらいの空気だけを語ればいいのに/独我論は本当は自分の皮膚の中に入り、自分自身を解体しなきゃいけない。
東氏は映画「ショアー」を見てないんだろうか。
うーん。私的態度と学術的態度と政治的態度がごちゃ混ぜでよくワカラン。/「南京大虐殺」が括弧に入っているのは解るが、じゃぁ大して何も云っていないのに何を云いたいのかワカラン。
べつにひどくない。
「実感」って、先生、いくらなんでも。議論のレイヤーを自らかき回してどうすんだこの人
資料も学説も調べず、自分の「体感」だけで物を言うのは、学者としてはどうか。
のらりくらり芸が唐沢俊一みたい。
「リアルのゆくえ」でぼくがいったのは、そんなふうに文字情報ばかりで構成された世界観など、文字情報によってすぐひっくりかえるのだから、少しはみな自重したほうがいいのではないか、ということです
好意的に解釈すれば、「実感」というのは心理学の「情動≒原型」のようなものか。/上野千鶴子あたりのエビンデンス(証拠)主義への反動(反発)が間違った形で現れているような気もする。
ポストモダン的相対化って結局無敵だから、何についてでも語れるけど、何も言ったことにならないのが難点と言うよくある話?
生で見る東さんの印象は、知らないことでも素早く「見て取って」理解してしまう頭の良さ、かつ、そんな自分の「目」を信じている人だというもので。ので「俺が見たもの/実感」と言い出すのも不思議ではないとゆー。
東は歴史家でも思想家でもない評論家だから、反対意見と向き合わなくてもいいんだよ、みたいな
「実感」を補強したり転換したりするものとして、これまでの議論があるのかな、とか(だからその辺に目配りしないとな、とも)。で、そうした議論をふまえない論は、絶対的真実とか耳を傾ける以前の問題かも。
東☆浩紀のすこし現地を見ただけで書く日記」はここでつか?/タブー化イクナイ!言論の自由を!という人達と同じ穴に落ちてないか反省したりしないものか…/id:flurry 良くも悪くも伝統的な日本の文藝評論家なんですなぁ。
「私的な印象として、ガス室の有無はぼくとしては疑いえない~けれど、南京大虐殺の有無についてはそのような強い実感がない」「文字情報ばかりで構成された世界観など、文字情報によってすぐひっくりかえる」
私的信念の根拠はどうなのかしら?
アウシュビッツには霊を感じたが、南京では霊を感じなかったと東センセイは仰せなのです。ポスモダでスピリチュアルなリベラルなんです。
そもそも東さんはどういう根拠で「あった」と考えているんだろう。
サヨク系の政治性への違和感を非政治的に表明しようとすること自体がメタ的に政治性を持つ難しさ。ただこの手の議論でかなわんのはサヨでもウヨでもなくシニシズムの中でモフモフしてる人かもしれない。
世の中には例示に出すと話が絶賛横道にそれる例示タブーが存在するのでした。おそろしや
これいわゆる極端な相対主義問題じゃないの?
東先生は、どんな話題でも 論争史を無視した子供の喧嘩状の何かに変えられてしまうのがポストモダン状況であり、webはそれを後押しする──という ご見解を自ら実践的に呈示していらっしゃるのです。
「そもそも、そんなに真実が大事だと思うのならば、そのかたがたは実際にぼくの授業に来て質問したらいいのではないでしょうか。」
"南京大虐殺がなかったと断言するひとの声に耳を傾ける、少なくともその声に場所を与える必要があるはず"(もしかして,このおっさん,産経とか文春の存在をしらんのか
秦郁彦ぐらい読めばいいじゃん。
とりあえず南京大虐殺のことに触れるとキチガイにあっという間に群がられることは分かった。/キチガイに「俺は近代人の常識もわきまえないヘタレでした、すみません」と言えと言われました。キチガイの巣窟ですね。
「絶対的真実はない」からと言って、味噌も糞も一緒にして思考停止する必要は無い。あげく「実感」とは
東氏の論でいけば、ポモリベたる東氏は、たとえハード(精神の健康に良くない)であっても、ブクマの反論に耳を傾けなくてはいけないってことになるのでは。確かに自己矛盾してる。
「強制収容所のあととか南京の資料館とかに足を運んでいるのでしょうか」おいおい、遺跡を訪れて、歴史を「実感」しなければ、歴史の正しさを確かめることができないのか?歴史学を全否定する、非科学的な発言だぞ!
「公共空間の開かれた言論」とは、発言者の声の大きさを根拠に「あらゆる主張を等価とすること」ではないはず。東氏は「政治性」に無頓着すぎる。
学究の徒としての評価を危うくしかねない危険な手法をとりながら何かの地平を目指しているようにも見える。それにしても、あまりうまくいっているように見えないが
72年の日中共同声明で毛沢東と周恩来との間で過去の事は決着済みでしょ。だけどその後江沢民が過去の問題を蒸し返したあと中国人でもないのに江沢民の代弁者が日本国内にたくさん現れるんだよね。
実感と来たか。ある時期以降の宮台真司の言説は、それ以前に輪をかけて胡散臭くなった。こういうことを言い出したからなのではないかと思う。実感も経験も行動もクソ食らえ、くらいのことをむしろ言ってもいい気がす
そんなことより東さんはもっとやせるべき
「不正確な引用だけを根拠にぼくの立場について誤解してしまう」>大元の批判は正確な引用を元に批判されているが何か?それとも文字情報は相対的に惰弱だから、東の本自体も信用するなということ?
うーん、益々批判を受けそうな…/死体見つからない論とかまさに修正主義って話になるのですが…/あと、この姿勢がハードに見えないのは私だけ?
要約すると「この議論は続けても仕方ないんじゃないかな。今、大塚さんはぼくの人格を批判しているので、それはやめたほうがよろしいんじゃないかと……」
うーん、東君、どうした。「強い実感がない」なんて言葉、足をすくわれるぜ。そういう「実感」に頼らず、論理的に考えればって話をしていたはずでは?
「もし「南京大虐殺がなかったと考えるなどとんでもない」と鼻から言うのであれば」現実の南京論争はそんなレベルの話じゃないんだけどな。現在進行形の議論を現状から乖離した形でネタにするのは誤解の元。
予想されたことではあるが、自分に関しては誤読(オルタナティブな解釈)禁止!かよ(ポール・ド・マン論争のデリダ)。つーか、イースト氏の意に沿って解釈してもクソなテクストなんだけど。
南京問題は下手に関わらない方がいい。ちぃ、おぼえた。
うーん、この件については東氏を批判する気にはなれないんだよなあ。困ったことに。/「実感」を持ち出したのは失敗だとは思うけど。付録が付録として受け取られるはず無いんだし。
素直に「中国が気に入らない/白人大好き」って言えばいいのに/”自分”がその場にいたらどのように振舞うか。虚心に想像すれば虐殺暴行はあったと判断せざるを得ないだろう。
ひどいっていうか、「南京事件はあった」って言えばいいってわけじゃないっていうか、南京事件なかった的修正主義者よりひどいというか、なんというか。
そこまで書くなら、せめてリンク貼ってくれYO! 僕は金を出してでもこれの宣伝をするためにあれを書いたんだからさ→ http://d.hatena.ne.jp/toled/20070726/1185459828 あと、それは「ポストモダニズム」ではなくて普通の近代の常識ヨ
ポストモダニズム系リベラルがクソって話をしてたんじゃなかったっけ?/金光翔さんも常野さんもポストモダニズム系リベラルじゃないんですけど。東浩紀=ポストモダニズム系リベラル=クソっていう等式が完成しただけ?
知識人の発言としては「ひどい」のだが、彼が規定する「現代」というものを自らの発言によって実践しそれによって議論を喚起するというのであれば、それもまた知識人の役割のひとつなのかもしれないとは思う。
どれくらいが南京の資料館に足を運んでいるのか/南京まで行って出会えたのは本多勝一/文字情報で構成された世界観は文字情報によってひっくりかえる/真実が大事だと思うのならば、実際にぼくの授業に/支離滅裂。
「「耳を傾ける」=「同意する」ではない」/その通りだが、ならば必要なのは対話。その労力がめんどいから容認しとこうよ、と言っているように見える。コミットする気ないのに、南京に触れるから批判されるのでは。
事の是非はよくわからんが実感主義を言い出すなんてなんと器の小さな。反哲学が非哲学でしかなかった一例。
付録に反応していないで、東工大にいけばよろし/みたいものをみる人が多い。
「文字情報ばかりで構成された世界観など、文字情報によってすぐひっくりかえるのだから、少しはみな自重したほうがいいのではないか」 いや逆でしょう…東せんせいはもっと文字情報を摂取、吟味すべきなのでは…。
彼氏がポストモダニストだった。別れたい。常識的に考えてほしいだけなんです!
対置させるもの間違ってます。南京記念館に対置されるべきはバービイ・ヤール。
人を喰った話をする自由はあるが、それを公開する際には慎重にならなければいけない。閉鎖空間ならともかく。→落語は高座で。
学者バカというか。 / 云わんとすることは判るし「なかったと主張する自由」は認めても良いけど、現実的に「南京を題材にそういう議論をすること」の効果に無自覚すぎる。そもそもそれが否定論者の常套手段だぞ?
すまん……この言明のどこがどう歴史修正主義なのか、俺には本気でさっぱりわからんのだが。/↓すみません、ありがとうございます。
↑この文章自体は歴史修正主義では無いでしょうが、歴史修正主義にひどく甘いという意味ですよ。/id:wiselerさん、お返事はメタブクマに。
ポストモダンが終わり「核(コア)」の概念が時代遅れになった。我々を待ち構えてるのは科学、歴史、法学を権威とした実証型のハードコアな原理主義。昨年までの文脈で修正主義を批判する者は全員逃げ遅れるだろう
東浩紀ってこの程度の知能しかないのが意外
こういう話を「わかりやすく」書こうと思うからあかんのじゃないですかね。もともと難しい話なわけだしデリディアンなんだからもっと思い切って難解なままに書いたらいいじゃないかと。
東工大にゆっくりしにきてね!!!/タイトル修正しといたよ
南京に行くより大変だがノモンハンに行けば良かったんだよ。当時の銃弾とかが落ちているらしい。それを拾ってきてホテルの部屋に置いておいたら、夜中に部屋全体が揺れたと村上春樹が言っていた。これが経験だな。
ポストモダン思想が嫌いな私にはとっては正直非常に嬉しいなこれは。ポストモダニストというのはつまるところこういう人たちなのだという誤解を広めたくはないが勝手に広げるのを止める気にもなれぬ。
南京問題の原体験がプロパガンダ化された、且つ日本語の資料だったから転向を抑える軸が弱いって事かな
はてなよりこっちを読め→http://watashinim.exblog.jp/8879908/
『「耳を傾ける」=「同意する」ではない』って言い訳になってないというか、単に「あったと考える」でいいよね。ポモ思想はいいがその例として南京を持ち出すことがどういう意味を持つか本気で分からないのかなー。
ID論に「場所を与える」ことを拒み続けるアメリカの科学者・政治家・教師・市民に僕は敬意を表するよ。
「声に場所」が与えられたり与えられなかったりっていうのが、どういう状況を意味してるのかよくわからない。別に検閲されてるわけじゃないし対話だってあると思うけど。
Nitar Social Responsibility:id:nitarの社会的責任
「耳を傾ける」とかどうでもいいんだよ。俺は南京大虐殺は無かったと思うよ。何故なら公言しても逮捕されないから。日本は反リビジョニストも充分に「寛容」ですw
前半はよかったのに付録でなんだか稚拙に見える事書いちゃうから批判されてるのかしらん・・・・それはともかく、これは何はてなポイントが進呈されるんかしら?
残されたものの印象で、虐殺に対する実感を持つのなら、大した証拠が残されない様に長い間占領しておけばいい。それが「南京」だったのじゃないの?
端的にいって下らねぇ。ビルケナウ(の収容所)と80年代につくられた紀念館(の本多勝一)を比較することこそ「文字情報の相対性や弱さに単純に無自覚」だろ
東ックスのこの「正論」と、田母神的な空気が野合した時が何となく怖くはある。 / ヤマザキ、東ックスを撃て!
「生きた」被害者の存在を知ろうとしないのはなぜか。そこまで実感したかったのならなぜフィールドワークしなかったのか。この先入観が何から出たものが知らんが学問的誠実を装うからさらに非難されるんだよな。
絶対的真実が無いことと、ある事象が無かったという主張に妥当性があるかどうかは別では。妥当性がまるで無いと判断できる主張にまで耳を傾けなきゃならんの?ポモリベは。/最後の実感信仰はあんまりでしょ。
そんなに体験したいんなら、まず生存している元日本兵の話でも聞きに行ったらどうでしょう。つーか、体験や実感最大重視・絶対信頼ってそれいよいよオウムじゃん。
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コメント
人のこと言えないけど、みんな構造主義とポスト構造主義とか脱構築についてわかって言ってるんだろうか。誰かあざやかに、虐殺とその論争について脱構築したらなあ。
これ、何にたいする応答?
はてっサ・リンチ
暴れるはてな民こわいよこわいよ(笑) /昔は一般市民30万虐殺説を否定するだけでも、もっと酷い有り様だったのを思い出した /イデオロギーの上下左右はともかく、普通に会話できない人たちとは近づきたくないな
「現地」を訪れることが無意味とは言わない。しかし、一定の留保つきとはいえ記念館を訪れた程度で「実感」がないというのは、逆に安易であり素朴に過ぎると言われても仕方がないのでは。
正直
なんていうか、東さんの言ってることはわかる気がするんだけど。すごい普通のこと言ってるよね?伝わりにくいのは、なんでやろう……焦ってばばっと言わはるからだろうか。
アウシュヴィッツに行った時、あの有名な鉄道引込線が60年代に敷設されたレプリカと気付いた。でも、それを知ったからといって歴史認識を変える必要はない。実体験をベースとして論理を構築するのが苦手な人なのかな
新たな局面
この人は嫌韓流も容認だっけ?なぜにこうなる?その理由がポストモダンならポストモダンなどいらない。東は今流行の歴史修正主義に色目を使うことで、何かの利益(=人気)を得ようとしているとしか思えない。
ていうか、単純に「正確に説明はできないけどさぁ学者じゃないから」とかそういうレベルの文脈の発言だったんじゃないのかな、なんでそういう話になるのかな。
この態度って、ポストモダンリベラルよりも、エスノメソドロジーと言えばいい気がする。
ポストモダン的な態度についての説明なら、「南京事件」じゃなく「歴代天皇は何代目までウソッパチか問題」に対する態度で喩えたらよかったのかも。あ、でも炎上はしづらくてもヒットマン送られる可能性は上がるか。
たぶん転向したくてたまらないのかな。
まだよくは読んでないけど、博物館行って「実感」で語るのは学部生のレポートでもできるよなあ。歴史学的な問題に対して脇が甘すぎる観がある。
http://www.hirokiazuma.com/archives/000465.html
この程度の知識で南京虐殺について語ることができるなら、私もポストモダンについて語るとしようか。体感で。
荒れてるねぇ
体感でいうなら、自分の皮膚の上、1mmくらいの空気だけを語ればいいのに/独我論は本当は自分の皮膚の中に入り、自分自身を解体しなきゃいけない。
東氏は映画「ショアー」を見てないんだろうか。
うーん。私的態度と学術的態度と政治的態度がごちゃ混ぜでよくワカラン。/「南京大虐殺」が括弧に入っているのは解るが、じゃぁ大して何も云っていないのに何を云いたいのかワカラン。
べつにひどくない。
「実感」って、先生、いくらなんでも。議論のレイヤーを自らかき回してどうすんだこの人
資料も学説も調べず、自分の「体感」だけで物を言うのは、学者としてはどうか。
のらりくらり芸が唐沢俊一みたい。
「リアルのゆくえ」でぼくがいったのは、そんなふうに文字情報ばかりで構成された世界観など、文字情報によってすぐひっくりかえるのだから、少しはみな自重したほうがいいのではないか、ということです
好意的に解釈すれば、「実感」というのは心理学の「情動≒原型」のようなものか。/上野千鶴子あたりのエビンデンス(証拠)主義への反動(反発)が間違った形で現れているような気もする。
ポストモダン的相対化って結局無敵だから、何についてでも語れるけど、何も言ったことにならないのが難点と言うよくある話?
生で見る東さんの印象は、知らないことでも素早く「見て取って」理解してしまう頭の良さ、かつ、そんな自分の「目」を信じている人だというもので。ので「俺が見たもの/実感」と言い出すのも不思議ではないとゆー。
東は歴史家でも思想家でもない評論家だから、反対意見と向き合わなくてもいいんだよ、みたいな
「実感」を補強したり転換したりするものとして、これまでの議論があるのかな、とか(だからその辺に目配りしないとな、とも)。で、そうした議論をふまえない論は、絶対的真実とか耳を傾ける以前の問題かも。
東☆浩紀のすこし現地を見ただけで書く日記」はここでつか?/タブー化イクナイ!言論の自由を!という人達と同じ穴に落ちてないか反省したりしないものか…/id:flurry 良くも悪くも伝統的な日本の文藝評論家なんですなぁ。
「私的な印象として、ガス室の有無はぼくとしては疑いえない~けれど、南京大虐殺の有無についてはそのような強い実感がない」「文字情報ばかりで構成された世界観など、文字情報によってすぐひっくりかえる」
私的信念の根拠はどうなのかしら?
アウシュビッツには霊を感じたが、南京では霊を感じなかったと東センセイは仰せなのです。ポスモダでスピリチュアルなリベラルなんです。
そもそも東さんはどういう根拠で「あった」と考えているんだろう。
サヨク系の政治性への違和感を非政治的に表明しようとすること自体がメタ的に政治性を持つ難しさ。ただこの手の議論でかなわんのはサヨでもウヨでもなくシニシズムの中でモフモフしてる人かもしれない。
世の中には例示に出すと話が絶賛横道にそれる例示タブーが存在するのでした。おそろしや
これいわゆる極端な相対主義問題じゃないの?
東先生は、どんな話題でも 論争史を無視した子供の喧嘩状の何かに変えられてしまうのがポストモダン状況であり、webはそれを後押しする──という ご見解を自ら実践的に呈示していらっしゃるのです。
「そもそも、そんなに真実が大事だと思うのならば、そのかたがたは実際にぼくの授業に来て質問したらいいのではないでしょうか。」
"南京大虐殺がなかったと断言するひとの声に耳を傾ける、少なくともその声に場所を与える必要があるはず"(もしかして,このおっさん,産経とか文春の存在をしらんのか
秦郁彦ぐらい読めばいいじゃん。
とりあえず南京大虐殺のことに触れるとキチガイにあっという間に群がられることは分かった。/キチガイに「俺は近代人の常識もわきまえないヘタレでした、すみません」と言えと言われました。キチガイの巣窟ですね。
「絶対的真実はない」からと言って、味噌も糞も一緒にして思考停止する必要は無い。あげく「実感」とは
東氏の論でいけば、ポモリベたる東氏は、たとえハード(精神の健康に良くない)であっても、ブクマの反論に耳を傾けなくてはいけないってことになるのでは。確かに自己矛盾してる。
「強制収容所のあととか南京の資料館とかに足を運んでいるのでしょうか」おいおい、遺跡を訪れて、歴史を「実感」しなければ、歴史の正しさを確かめることができないのか?歴史学を全否定する、非科学的な発言だぞ!
「公共空間の開かれた言論」とは、発言者の声の大きさを根拠に「あらゆる主張を等価とすること」ではないはず。東氏は「政治性」に無頓着すぎる。
学究の徒としての評価を危うくしかねない危険な手法をとりながら何かの地平を目指しているようにも見える。それにしても、あまりうまくいっているように見えないが
72年の日中共同声明で毛沢東と周恩来との間で過去の事は決着済みでしょ。だけどその後江沢民が過去の問題を蒸し返したあと中国人でもないのに江沢民の代弁者が日本国内にたくさん現れるんだよね。
実感と来たか。ある時期以降の宮台真司の言説は、それ以前に輪をかけて胡散臭くなった。こういうことを言い出したからなのではないかと思う。実感も経験も行動もクソ食らえ、くらいのことをむしろ言ってもいい気がす
そんなことより東さんはもっとやせるべき
「不正確な引用だけを根拠にぼくの立場について誤解してしまう」>大元の批判は正確な引用を元に批判されているが何か?それとも文字情報は相対的に惰弱だから、東の本自体も信用するなということ?
うーん、益々批判を受けそうな…/死体見つからない論とかまさに修正主義って話になるのですが…/あと、この姿勢がハードに見えないのは私だけ?
要約すると「この議論は続けても仕方ないんじゃないかな。今、大塚さんはぼくの人格を批判しているので、それはやめたほうがよろしいんじゃないかと……」
うーん、東君、どうした。「強い実感がない」なんて言葉、足をすくわれるぜ。そういう「実感」に頼らず、論理的に考えればって話をしていたはずでは?
「もし「南京大虐殺がなかったと考えるなどとんでもない」と鼻から言うのであれば」現実の南京論争はそんなレベルの話じゃないんだけどな。現在進行形の議論を現状から乖離した形でネタにするのは誤解の元。
予想されたことではあるが、自分に関しては誤読(オルタナティブな解釈)禁止!かよ(ポール・ド・マン論争のデリダ)。つーか、イースト氏の意に沿って解釈してもクソなテクストなんだけど。
南京問題は下手に関わらない方がいい。ちぃ、おぼえた。
うーん、この件については東氏を批判する気にはなれないんだよなあ。困ったことに。/「実感」を持ち出したのは失敗だとは思うけど。付録が付録として受け取られるはず無いんだし。
素直に「中国が気に入らない/白人大好き」って言えばいいのに/”自分”がその場にいたらどのように振舞うか。虚心に想像すれば虐殺暴行はあったと判断せざるを得ないだろう。
ひどいっていうか、「南京事件はあった」って言えばいいってわけじゃないっていうか、南京事件なかった的修正主義者よりひどいというか、なんというか。
そこまで書くなら、せめてリンク貼ってくれYO! 僕は金を出してでもこれの宣伝をするためにあれを書いたんだからさ→ http://d.hatena.ne.jp/toled/20070726/1185459828 あと、それは「ポストモダニズム」ではなくて普通の近代の常識ヨ
ポストモダニズム系リベラルがクソって話をしてたんじゃなかったっけ?/金光翔さんも常野さんもポストモダニズム系リベラルじゃないんですけど。東浩紀=ポストモダニズム系リベラル=クソっていう等式が完成しただけ?
知識人の発言としては「ひどい」のだが、彼が規定する「現代」というものを自らの発言によって実践しそれによって議論を喚起するというのであれば、それもまた知識人の役割のひとつなのかもしれないとは思う。
どれくらいが南京の資料館に足を運んでいるのか/南京まで行って出会えたのは本多勝一/文字情報で構成された世界観は文字情報によってひっくりかえる/真実が大事だと思うのならば、実際にぼくの授業に/支離滅裂。
「「耳を傾ける」=「同意する」ではない」/その通りだが、ならば必要なのは対話。その労力がめんどいから容認しとこうよ、と言っているように見える。コミットする気ないのに、南京に触れるから批判されるのでは。
事の是非はよくわからんが実感主義を言い出すなんてなんと器の小さな。反哲学が非哲学でしかなかった一例。
付録に反応していないで、東工大にいけばよろし/みたいものをみる人が多い。
「文字情報ばかりで構成された世界観など、文字情報によってすぐひっくりかえるのだから、少しはみな自重したほうがいいのではないか」 いや逆でしょう…東せんせいはもっと文字情報を摂取、吟味すべきなのでは…。
彼氏がポストモダニストだった。別れたい。常識的に考えてほしいだけなんです!
対置させるもの間違ってます。南京記念館に対置されるべきはバービイ・ヤール。
人を喰った話をする自由はあるが、それを公開する際には慎重にならなければいけない。閉鎖空間ならともかく。→落語は高座で。
学者バカというか。 / 云わんとすることは判るし「なかったと主張する自由」は認めても良いけど、現実的に「南京を題材にそういう議論をすること」の効果に無自覚すぎる。そもそもそれが否定論者の常套手段だぞ?
すまん……この言明のどこがどう歴史修正主義なのか、俺には本気でさっぱりわからんのだが。/↓すみません、ありがとうございます。
↑この文章自体は歴史修正主義では無いでしょうが、歴史修正主義にひどく甘いという意味ですよ。/id:wiselerさん、お返事はメタブクマに。
ポストモダンが終わり「核(コア)」の概念が時代遅れになった。我々を待ち構えてるのは科学、歴史、法学を権威とした実証型のハードコアな原理主義。昨年までの文脈で修正主義を批判する者は全員逃げ遅れるだろう
東浩紀ってこの程度の知能しかないのが意外
こういう話を「わかりやすく」書こうと思うからあかんのじゃないですかね。もともと難しい話なわけだしデリディアンなんだからもっと思い切って難解なままに書いたらいいじゃないかと。
東工大にゆっくりしにきてね!!!/タイトル修正しといたよ
南京に行くより大変だがノモンハンに行けば良かったんだよ。当時の銃弾とかが落ちているらしい。それを拾ってきてホテルの部屋に置いておいたら、夜中に部屋全体が揺れたと村上春樹が言っていた。これが経験だな。
ポストモダン思想が嫌いな私にはとっては正直非常に嬉しいなこれは。ポストモダニストというのはつまるところこういう人たちなのだという誤解を広めたくはないが勝手に広げるのを止める気にもなれぬ。
南京問題の原体験がプロパガンダ化された、且つ日本語の資料だったから転向を抑える軸が弱いって事かな
はてなよりこっちを読め→http://watashinim.exblog.jp/8879908/
『「耳を傾ける」=「同意する」ではない』って言い訳になってないというか、単に「あったと考える」でいいよね。ポモ思想はいいがその例として南京を持ち出すことがどういう意味を持つか本気で分からないのかなー。
ID論に「場所を与える」ことを拒み続けるアメリカの科学者・政治家・教師・市民に僕は敬意を表するよ。
「声に場所」が与えられたり与えられなかったりっていうのが、どういう状況を意味してるのかよくわからない。別に検閲されてるわけじゃないし対話だってあると思うけど。
Nitar Social Responsibility:id:nitarの社会的責任
「耳を傾ける」とかどうでもいいんだよ。俺は南京大虐殺は無かったと思うよ。何故なら公言しても逮捕されないから。日本は反リビジョニストも充分に「寛容」ですw
前半はよかったのに付録でなんだか稚拙に見える事書いちゃうから批判されてるのかしらん・・・・それはともかく、これは何はてなポイントが進呈されるんかしら?
残されたものの印象で、虐殺に対する実感を持つのなら、大した証拠が残されない様に長い間占領しておけばいい。それが「南京」だったのじゃないの?
端的にいって下らねぇ。ビルケナウ(の収容所)と80年代につくられた紀念館(の本多勝一)を比較することこそ「文字情報の相対性や弱さに単純に無自覚」だろ
東ックスのこの「正論」と、田母神的な空気が野合した時が何となく怖くはある。 / ヤマザキ、東ックスを撃て!
「生きた」被害者の存在を知ろうとしないのはなぜか。そこまで実感したかったのならなぜフィールドワークしなかったのか。この先入観が何から出たものが知らんが学問的誠実を装うからさらに非難されるんだよな。
絶対的真実が無いことと、ある事象が無かったという主張に妥当性があるかどうかは別では。妥当性がまるで無いと判断できる主張にまで耳を傾けなきゃならんの?ポモリベは。/最後の実感信仰はあんまりでしょ。
そんなに体験したいんなら、まず生存している元日本兵の話でも聞きに行ったらどうでしょう。つーか、体験や実感最大重視・絶対信頼ってそれいよいよオウムじゃん。