グーグル・ストリートビューに儀礼的無関心を求めるのは筋違い[絵文録ことのは]2008/08/10 : 「(「モヒカン族」的思考)がサバサバしすぎており、論理的にすぎて思いやりに欠ける」
「このデータが100年後に残っていれば」リアルで「古い空間」と言うことに
この人が「オウム真理教の幹部」だったということも合わせて読むと興味深い。GSVにかこつけて防犯カメラを無くしたいだけちゃうかな?
「生活空間と公共空間は密接に絡まり合っている。」明確なエッジが存在しない以上、その線引きは、ある主体による恣意的なものにならざるをえない
早くゼンリンあたりも参入してほしい。
無断リンクの是非論を持ち出してるけどそれは違うと思う。
「楽しい機能」であることには同意するが、その楽しみに後ろめたさを伴わないとすれば日本では危険人物視されても不思議ではない。どこまでが風景でどこからが窃視か、万人が納得する線引きは無さそうだ
タイトル誤読した
肯定的な意見。
補記1・補記3
「ストリートビューに反対する意見は多いが、そういう人は、『実際にはこれだけのものを通りすがりの人たちから見られている』ということに無頓着すぎたのではないだろうか」 / 無断○○禁止・「HPは家理論」の構造。
と、とりあえず、な、長げえ
ストリートビューについて、可視化
儀礼的無関心(または無断リンク禁止)問題の復習。
<補記1:人の問題><ラブホテル前のアベックが写っている写真を晒して喜んでいる人たちもいた。> この話はそれこそがが全てで、「それはそれ」と言ってしまったらストリートビュー批判してる人の立つ瀬が無い。
公共空間だの生活空間だのどうでも良いが、WEB上で世界中の誰もが気軽に見られる・見ることが出来てしまうという一番の特性を無視して、監視カメラや路上で写真を撮ることと暢気に比べてる時点で、何も分かってない。
とりあえずgoogleが一企業体に過ぎない点を無視してるあたりが恣意的に感じる。具体的には補記3の後に補記4で即、フォローする当たりがいやらしい…まあ、文章が巧みとも言えるが。
興味がある記事だが、どう興味があるのかを具体的に書こうとするととたんに書けなくなるな
おいらが ust の件で重視していた資料性はジャーナリズムに則るものであって、局所的で十分というものなんだけどね。風俗資料として残すにしても日本中くまなく撮影して回る必要はないんでねーの? / 他の議論は既出。
そ、そんなに議論するようなことか?と思ってしまった自分…。日本人の感性についてもう少し勉強してきます
河上イチローさんなのか!
「ネットでの儀礼的無関心の可能性」→http://d.hatena.ne.jp/TRiCKFiSH/20031130
我々の生活空間が公共空間にちょっとだけフリーライドする形で構築されてきたとすると、GSVによって我々はフリーライドを見逃されることが無くなり、そのぶんちょっとだけ貧しくなった、と考えられるのかな。
完全に観点を取り違えている。Webと現実空間を一緒にするな。
休み中
「無頓着すぎたのではないだろうか。」それはそうだが、この場合に無頓着すぎるのはいけないことなのだろうかと思う。そう割り切って生活しなければならないことの不幸さは気付けないだろうな。
全世界に常時映像を流し続ける防犯カメラなんてそんなにないよな。ここでこの例えを持ち出しても意味ないと思うんだが
「この点について、グーグル・ストリートビューは一定の配慮をしている。つまり、人間の顔と思われるものは自動的にカバーするようになっている。」 これじゃ甘い。
エクステリアの「あるべき論」はわかるが、日本人の少なからずの人が「エクステリア」=「金持ちの道楽」と思っている。また、Webの世界の「あるべき論」を適用するのも間違い。
確かに,この昨日で一番見たいのは歴史的町並みだ.何の変哲も無い住宅街も,それはそれで鑑賞の対象になる./でもウチもばっちり写ってるってのはなあ……
ストリートビュー嫌悪と無断リンク拒否の関連など。
「非常に日本的」ここは日本なのだからそれでいいんじゃないの?/「防犯カメラの氾濫のほうがずっと問題だ」防犯カメラは決まった方向から決まったモノを映している。360度ではない。「カメラ」で同一視するのは乱暴
《「実際にはこれだけのものを通りすがりの人たちから見られている」ということに無頓着すぎたのではないだろうか》、しかりしかり。
ストリートビュー関係のエントリ(是非問わず)で一番まとまってた気がするのでブクマ。「無礼」は「無法」じゃないんだよな、残念ながら。
儀礼的無関心
公共空間が存在しない国で言われてもなあ。
防犯に活用するにしても後手後手に回るんじゃないか、という印象。
議論すべき問題点の切り分けが良くできていると思う。ストリートビュー議論がやっとまともなスタートラインに乗ったと感じた。
この記事に限らず、それぞれの論点ずれた状態で固まってきてるような気が。「資料」として見るにはリアルタイムすぎ住所と簡単に結び付けられる点はやはり問題。「礼儀」「儀礼」は本質的なことではないのではと思う
無許可で自分の家を撮影されてるってのが気持ち悪いわけで。車載カメラで自動的に撮影してるから気にならないのかも知れないけど、カメラ小僧が街の中をウロウロしてると思うと嫌じゃない?
インテリア(室内空間)/エクステリア(住宅空間)/公共空間。プライベートとパブリックとの境界領域。|見て見ぬふり=儀礼的無関心|「ストリートビューが問題なら防犯監視カメラは大問題」という指摘。
松本人志がAV借りてるとこの防犯カメラ映像のキャプチャが写真週刊誌にのり、訴えて勝った。だれか削除要望の前にグーグルを訴えればいい
色々な所を訪問するプチ一人旅をする俺は少数派ですね。
『生活空間と公共空間の境界線は引けない』『ストリートビューは日本の日常風景を記録した重要な資料だ』。ストリートビューよりPlaceEngineの方が問題になっても良さそうだけどね。http://takagi-hiromitsu.jp/diary/20071021.html
懐かしい分析ツールが出てきてほっこりした。/何箇所か論点がずれてる(というかかみあってない箇所がある)ような気がして、モヤモヤさせられた。
「これは2008年の日本の風景を切り取った資料集なのだ。このデータが100年後に残っていれば、これは極めて重要な資料となりえる。」
ストリートビューが問題なら防犯監視カメラは大問題←これは間違い。SVは「犯人がそこにいない」、防犯監視カメラは「犯人がそこにいる」。犯人の理想は「SVに画像があり、防犯カメラがそこにないこと」だと思うが?
プライベートとパブリックに単純に二分されるものでもないからなあ。
マジョリティへのリテラシーの啓蒙が大事だね、という話ではある。/監視カメラについては設置状況にも2種類あってただそのどちらも誰でも画見えるわけでは無いという部分で大きくストリートビューとは違う。
肯定的意見。ただウェブ上の「儀礼的無関心」とは別の問題ではないか。たんなる撮影ではなくネット上に住所と結びついた画像DBを構築するということが問題なのだ。/ 高木浩光さんから通行人の視座と違うという検証。
かなり広範囲で同意。 / 俺が違和感を持たないのは「私的なもの以外は全て外部」という切り方をしているかららしい。 / 防犯上の問題はないと断言する。それこそ「パラダイムシフト」で片がつく問題だろう。
今僕はアメリカに住んでいるが、そのアパートの前にとめた自分の車が写ってても何とも思わなかったのに、日本の自分の実家が写ってたときに嫌な気がした。文化というものは風景にも宿ってるものだ
"ストリートビューが問題なら防犯監視カメラは大問題" コレは全く筋違い。防犯監視カメラと同一視できない。
ウエブによって混乱が起きる公私の混乱。私は「技術はそれを使う人の心」だと思うのだけれども、さて。
ストリートビューに肯定的な自分としては、この見方には全面的に賛同する。ストリートビューが映し出しているのが"ごく日常"の光景である以上、そこに映し出される情報は誰もが目にするものだったはずだ
ええ、防犯カメラが氾濫しているのは大問題ですよ。監視よりも安全という以前に、気づいていない人の方が多いでしょ。/あと、人の問題と防犯上の問題の部分はネット性善説すぎる気がします。
米版St. viewが始まった時もそれなりに「これ日本版できたらやばくね」みたいな会話はあるところではあった。
ストリートビューの価値は認めるが様々な課題があるのも確か。その課題をどう解決(受け入れる/克服)するかが重要。
松永英明氏。防犯監視カメラの存在は市民に知らされているが、ストリートビューはその存在を知らない人が大多数。住宅街の路地で個人が10mおきに360度カメラ撮影していたら不審者として警察を呼ばれるだろう。
"グーグルでよみがえる「儀礼的無関心」問題"
ブログの儀礼的無関心の問題は最初から公的なものとして設計された空間にリアルの感覚を持ち込んだのがまずいわけでストリートビューとは構図が全く逆。/防犯カメラの映像は実際「公開されたら」大問題になってる。
有名人宅が公開されて迷惑を被る可能性はあると思う。
『ストリートビューは日本の日常風景を記録した重要な資料』『ぼんやりした写真が載るくらいで空き巣に狙われるような状況を放置しておく方が悪い』『駅や街頭の防犯カメラの氾濫のほうがずっと問題』
「防犯上の問題は無い」とな。量の変化が質の変化を生むということも分からないらしい。
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グーグル・ストリートビューに儀礼的無関心を求めるのは筋違い[絵文録ことのは]2008/08/10 : 「(「モヒカン族」的思考)がサバサバしすぎており、論理的にすぎて思いやりに欠ける」
「このデータが100年後に残っていれば」リアルで「古い空間」と言うことに
この人が「オウム真理教の幹部」だったということも合わせて読むと興味深い。GSVにかこつけて防犯カメラを無くしたいだけちゃうかな?
「生活空間と公共空間は密接に絡まり合っている。」明確なエッジが存在しない以上、その線引きは、ある主体による恣意的なものにならざるをえない
早くゼンリンあたりも参入してほしい。
無断リンクの是非論を持ち出してるけどそれは違うと思う。
「楽しい機能」であることには同意するが、その楽しみに後ろめたさを伴わないとすれば日本では危険人物視されても不思議ではない。どこまでが風景でどこからが窃視か、万人が納得する線引きは無さそうだ
タイトル誤読した
肯定的な意見。
補記1・補記3
「ストリートビューに反対する意見は多いが、そういう人は、『実際にはこれだけのものを通りすがりの人たちから見られている』ということに無頓着すぎたのではないだろうか」 / 無断○○禁止・「HPは家理論」の構造。
と、とりあえず、な、長げえ
ストリートビューについて、可視化
儀礼的無関心(または無断リンク禁止)問題の復習。
<補記1:人の問題><ラブホテル前のアベックが写っている写真を晒して喜んでいる人たちもいた。> この話はそれこそがが全てで、「それはそれ」と言ってしまったらストリートビュー批判してる人の立つ瀬が無い。
公共空間だの生活空間だのどうでも良いが、WEB上で世界中の誰もが気軽に見られる・見ることが出来てしまうという一番の特性を無視して、監視カメラや路上で写真を撮ることと暢気に比べてる時点で、何も分かってない。
とりあえずgoogleが一企業体に過ぎない点を無視してるあたりが恣意的に感じる。具体的には補記3の後に補記4で即、フォローする当たりがいやらしい…まあ、文章が巧みとも言えるが。
興味がある記事だが、どう興味があるのかを具体的に書こうとするととたんに書けなくなるな
おいらが ust の件で重視していた資料性はジャーナリズムに則るものであって、局所的で十分というものなんだけどね。風俗資料として残すにしても日本中くまなく撮影して回る必要はないんでねーの? / 他の議論は既出。
そ、そんなに議論するようなことか?と思ってしまった自分…。日本人の感性についてもう少し勉強してきます
河上イチローさんなのか!
「ネットでの儀礼的無関心の可能性」→http://d.hatena.ne.jp/TRiCKFiSH/20031130
我々の生活空間が公共空間にちょっとだけフリーライドする形で構築されてきたとすると、GSVによって我々はフリーライドを見逃されることが無くなり、そのぶんちょっとだけ貧しくなった、と考えられるのかな。
完全に観点を取り違えている。Webと現実空間を一緒にするな。
休み中
「無頓着すぎたのではないだろうか。」それはそうだが、この場合に無頓着すぎるのはいけないことなのだろうかと思う。そう割り切って生活しなければならないことの不幸さは気付けないだろうな。
全世界に常時映像を流し続ける防犯カメラなんてそんなにないよな。ここでこの例えを持ち出しても意味ないと思うんだが
「この点について、グーグル・ストリートビューは一定の配慮をしている。つまり、人間の顔と思われるものは自動的にカバーするようになっている。」 これじゃ甘い。
エクステリアの「あるべき論」はわかるが、日本人の少なからずの人が「エクステリア」=「金持ちの道楽」と思っている。また、Webの世界の「あるべき論」を適用するのも間違い。
確かに,この昨日で一番見たいのは歴史的町並みだ.何の変哲も無い住宅街も,それはそれで鑑賞の対象になる./でもウチもばっちり写ってるってのはなあ……
ストリートビュー嫌悪と無断リンク拒否の関連など。
「非常に日本的」ここは日本なのだからそれでいいんじゃないの?/「防犯カメラの氾濫のほうがずっと問題だ」防犯カメラは決まった方向から決まったモノを映している。360度ではない。「カメラ」で同一視するのは乱暴
《「実際にはこれだけのものを通りすがりの人たちから見られている」ということに無頓着すぎたのではないだろうか》、しかりしかり。
ストリートビュー関係のエントリ(是非問わず)で一番まとまってた気がするのでブクマ。「無礼」は「無法」じゃないんだよな、残念ながら。
儀礼的無関心
公共空間が存在しない国で言われてもなあ。
防犯に活用するにしても後手後手に回るんじゃないか、という印象。
議論すべき問題点の切り分けが良くできていると思う。ストリートビュー議論がやっとまともなスタートラインに乗ったと感じた。
この記事に限らず、それぞれの論点ずれた状態で固まってきてるような気が。「資料」として見るにはリアルタイムすぎ住所と簡単に結び付けられる点はやはり問題。「礼儀」「儀礼」は本質的なことではないのではと思う
無許可で自分の家を撮影されてるってのが気持ち悪いわけで。車載カメラで自動的に撮影してるから気にならないのかも知れないけど、カメラ小僧が街の中をウロウロしてると思うと嫌じゃない?
インテリア(室内空間)/エクステリア(住宅空間)/公共空間。プライベートとパブリックとの境界領域。|見て見ぬふり=儀礼的無関心|「ストリートビューが問題なら防犯監視カメラは大問題」という指摘。
松本人志がAV借りてるとこの防犯カメラ映像のキャプチャが写真週刊誌にのり、訴えて勝った。だれか削除要望の前にグーグルを訴えればいい
色々な所を訪問するプチ一人旅をする俺は少数派ですね。
『生活空間と公共空間の境界線は引けない』『ストリートビューは日本の日常風景を記録した重要な資料だ』。ストリートビューよりPlaceEngineの方が問題になっても良さそうだけどね。http://takagi-hiromitsu.jp/diary/20071021.html
懐かしい分析ツールが出てきてほっこりした。/何箇所か論点がずれてる(というかかみあってない箇所がある)ような気がして、モヤモヤさせられた。
「これは2008年の日本の風景を切り取った資料集なのだ。このデータが100年後に残っていれば、これは極めて重要な資料となりえる。」
ストリートビューが問題なら防犯監視カメラは大問題←これは間違い。SVは「犯人がそこにいない」、防犯監視カメラは「犯人がそこにいる」。犯人の理想は「SVに画像があり、防犯カメラがそこにないこと」だと思うが?
プライベートとパブリックに単純に二分されるものでもないからなあ。
マジョリティへのリテラシーの啓蒙が大事だね、という話ではある。/監視カメラについては設置状況にも2種類あってただそのどちらも誰でも画見えるわけでは無いという部分で大きくストリートビューとは違う。
肯定的意見。ただウェブ上の「儀礼的無関心」とは別の問題ではないか。たんなる撮影ではなくネット上に住所と結びついた画像DBを構築するということが問題なのだ。/ 高木浩光さんから通行人の視座と違うという検証。
かなり広範囲で同意。 / 俺が違和感を持たないのは「私的なもの以外は全て外部」という切り方をしているかららしい。 / 防犯上の問題はないと断言する。それこそ「パラダイムシフト」で片がつく問題だろう。
今僕はアメリカに住んでいるが、そのアパートの前にとめた自分の車が写ってても何とも思わなかったのに、日本の自分の実家が写ってたときに嫌な気がした。文化というものは風景にも宿ってるものだ
"ストリートビューが問題なら防犯監視カメラは大問題" コレは全く筋違い。防犯監視カメラと同一視できない。
ウエブによって混乱が起きる公私の混乱。私は「技術はそれを使う人の心」だと思うのだけれども、さて。
ストリートビューに肯定的な自分としては、この見方には全面的に賛同する。ストリートビューが映し出しているのが"ごく日常"の光景である以上、そこに映し出される情報は誰もが目にするものだったはずだ
ええ、防犯カメラが氾濫しているのは大問題ですよ。監視よりも安全という以前に、気づいていない人の方が多いでしょ。/あと、人の問題と防犯上の問題の部分はネット性善説すぎる気がします。
米版St. viewが始まった時もそれなりに「これ日本版できたらやばくね」みたいな会話はあるところではあった。
ストリートビューの価値は認めるが様々な課題があるのも確か。その課題をどう解決(受け入れる/克服)するかが重要。
松永英明氏。防犯監視カメラの存在は市民に知らされているが、ストリートビューはその存在を知らない人が大多数。住宅街の路地で個人が10mおきに360度カメラ撮影していたら不審者として警察を呼ばれるだろう。
"グーグルでよみがえる「儀礼的無関心」問題"
ブログの儀礼的無関心の問題は最初から公的なものとして設計された空間にリアルの感覚を持ち込んだのがまずいわけでストリートビューとは構図が全く逆。/防犯カメラの映像は実際「公開されたら」大問題になってる。
有名人宅が公開されて迷惑を被る可能性はあると思う。
『ストリートビューは日本の日常風景を記録した重要な資料』『ぼんやりした写真が載るくらいで空き巣に狙われるような状況を放置しておく方が悪い』『駅や街頭の防犯カメラの氾濫のほうがずっと問題』
「防犯上の問題は無い」とな。量の変化が質の変化を生むということも分からないらしい。