『安心社会から信頼社会へ - 日本型システムの行方』山岸俊男
頭で分かっても感覚で信頼社会への移行を受容できないと難しいと思う。さらには、プライベートなシーンを2ちゃんに流した奴はいっぱい居たわけで、そういうことされるのが嫌なら一般的信頼をしないのは妥当だし。
"日本人が安心できるのは、何らかのコミュニティの内部で相互監視による抑制が働いている場面のみで、その枠が無い時は、日本人は他人を信頼できないという"
信頼というのは合理性というより一貫性で得られるもんですよ。アメリカで宗教的倫理感が重視されるのも一貫性があるから。
”日本にはコミュニティの外部にある「みんな」という概念がなくて、「パブリック」という概念を本当の意味では理解してないのである。”
安心社会での他人は「他人」という名の、人間とは別種の得体の知れない生き物。
今までとはまったく違うタイプの外圧。原理的に不可避。Googleが神に近づいた瞬間か。/でもYahoo! Japanに勝つのはまだ遠そうとも思わせる。/安心⇔信頼は性悪説⇔性善説っぽいな。
ちくしょう・・・全部読んでやる!
本
日本人は他人を「信頼」してないけど「安心」している。アメリカ人は「安心」してないけど「信頼」している。
//グーグルのサービスはストリートビューに限らず、「パブリック」な領域を広げ、不特定多数の他人への「信頼」を強制する性質があるので、「安心社会」とは相性が悪い。//日本峡には第三者という概念がない。私と貴
安心なのか、信頼なのか。
[Japan] [Google]
|「安心」は、道ゆく人が社会から暗黙の規制を受けていると思うことで、「信頼」とは、規制されてなくても人間というものは普通悪いことはしないと思うこと| を軸に、日本とアメリカのズレを語っている。
ふすまから壁、引き戸からドアになった時になんらかの変革はあったんだろうなあとは思う。/あれ、てことは日本教って文人マター?
わかりやすいまとめ。/日本教に興味が沸いた。
本に興味を持った。わたしはなぜ西洋が信頼社会になれたのか興味があるが。
日本教にプライバシー尊重の概念が導入されたのはいつだろう。いまだに過渡期のようにも思うし
『安心社会から信頼社会へ—日本型システムの行方 』(中公新書)〈日本人が安心できるのは、何らかのコミュニティの内部で相互監視による抑制が働いている場面のみで、その枠が無い時は、日本人は他人を信頼できない〉
「知らない人を信頼する度合いが、アメリカより日本の方が低い」 / 日本人が自分ちの庭をオープンにできるのは「安心」しているからであって「信頼」しているからではない / 「安心社会」への執着には根深いものがある
ソーシャルキャピタル
日本社会はプライベートとコミュニティの区別があいまい。プライベート以外はコミュニティなものとして。パブリックはお上的規制として理解されている、と。個人主義と公共性、公共性と経済性、江湖、寄り合い権辺り
日本と海外では「パブリック」の感覚が違うと思っていたが、お上のものだったとは。なるほど。
ユーザのリアクションを見る限り今のところどこをどー信頼しろというのか。/信頼社会/最近モノスゲー勢いで物凄くいろんな方向に格差が生まれてないか?金の問題だけでなく。
感覚の違い
山岸センセはオモロイよね
コミュニティ
まあ社会的確実性を強化していくという意味では安心社会を目指すのも決して逆行ではないと思うけど/言及:http://kd1.blog103.fc2.com/blog-entry-183.html
日本だけが特殊なのか?例えば、ヨーロッパは?アメリカの感覚がおかしくないか?という疑念は必要だと思う。
A,B,Cの説明がしっくりきた。
日米における空間と安心、信頼についての考察
民家の玄関しか並んでない袋小路にうっかり迷い込んでしまうと、道路なのに妙に恥ずかしいという感覚。
"日本では「みんなのもの」と言う時には「コミュニティのもの」を意味していて、「パブリック」という言葉は「お上のもの」という風に理解されているのではないだろうか"
パブリックの概念とか。 / 日本人は「信頼」してないのに、「安心」してしまうバカという話。←違うかも。
なんで究極の二択みたいになってんだか
ネットワークにおける2ステップ以上への想像力というか、その意味をもっと考えられればよいのだろうと思う。ネットワーク論からは、単純にパブリック・コミュニティ・プライベートを分けられない。
「「パブリック」という言葉は「お上のもの」という風に理解されている」<言い得て妙だなw。これはやられた。確かに本来であれば、社会的信頼は教育においては根付かせるべき課題。Googleは日本社会に期待しすぎかも
日本人は人に見られていない所で悪い事をするからなあ。
日本という括りはおお雑把だと思っていて、僕には "路地"="コミュニティ" という意識はあんまりないなあ。新し目の住宅地(杉並区なんだけど)、アパート住まい(町内会未加入)、20代、という環境によるのかもしれないが。
「知らない人を信頼する度合いが、アメリカより日本の方が低い」/閉鎖的な田舎も路地の奥もこじ開けられる。
「下町の人情」とかは、よそ者を排斥する文化でもあったんだな…。アメリカ人も十分信頼し合ってるとは思えない。「信頼」性の高い社会へ移行するにはどうすればよいのやら…「Google webCamera」的な監視社会への移行?
むしろわかりやすい説明のお手本として。
Public-Community-Privateの説明に目から鱗。アメリカではコミュニティを「公」の中に見出そうとするけど、日本じゃあくまで「私」の延長なんだよね。/梅田式webオプティミズムが日本で浸透しにくいのも、この辺りなのかな。
"日本では「みんなのもの」と言う時には「コミュニティのもの」を意味していて、「パブリック」という言葉は「お上のもの」という風に理解されているのでは" ほか
A、B、Cの境界線の説明がわかり易かった。
今まで、上限設定的な規制のもとで、ようやく何とか安心できていた「底辺の人達」にとっては、これからどんどん暮らしにくくなっていくのでしょうね。
どうしても地縁を捨てきれない日本
PrivateとPublicの切れ目と公私の切れ目と違い。Googleに申し入れるときに考慮しないといけない。シリコンバレーは「見ず知らずの人間でも信頼できる」ということを一億二千万人もの人たちにわからせたのだ」を目指す
これもやっぱりキリスト教社会との違いみたいな話になるんだろうか
なんてすっきりとした説明。
日本人が他者を信頼していないのは本当。だから、アパートを借りるにも保証人が必要だし、個人事業主が顧客企業と契約を結ぶのも難しい。組織に属していない個人にめっぽう冷たいのが日本社会の特徴。
アメリカ人の場合、キリスト教という担保があることも無視出来ないと思う。高偏差値の大学生の担保は“築き上げた知識”のようなものじゃないかと思う。
「日本人が安心できるのは、何らかのコミュニティの内部で相互監視による抑制が働いている場面のみで、その枠が無い時は、日本人は他人を信頼できないという。」
安心と信頼と、ストリートビューへの反応。定義がいまいち分からん、後で読もう。
気になっていたこの路上喫煙の話と関係ありや否や http://d.hatena.ne.jp/kmiura/20080212#p1
「安心」は、道ゆく人が社会から暗黙の規制を受けていると思うことで、「信頼」とは、規制されてなくても人間というものは普通悪いことはしないと思うこと
お見事!
「日本にはコミュニティの外部にある「みんな」という概念がなくて、「パブリック」という概念を本当の意味では理解してない」重要/信頼社会に移行する前に仕組みだけ強制したら相互監視社会になってしまうのでは?
判子社会から契約社会への移行とも、言う
「米国では「パブリック」であるということは「みんなのもの」ということになるのだけど、日本では「みんなのもの」と言う時には「コミュニティのもの」を意味していて、「パブリック」は「お上のもの」と」お上?
正直なところ、数日あれば地球の裏側から日本の路地にこれる現在、安心を求め続けるのは不可能だよなぁ。
アメリカって自衛のための武装は当然、みたいな社会じゃなかったんですか?
ああ、これはありそうだなあ。生活道路は撮影すべきじゃないって意見もあったけど、その根っこはここかー
相手を信頼するためには、相手は合理的な行動をするだろうという推測が必要。日本では、それが成り立たない。ゲーム理論よりも「恥の文化」や「…」が優先される。"…"部は考え中(^^;
日本語には"public"に相当する訳語が無い。「公」は誰かの「私」に過ぎない。日本でのストリートビューへの拒否感にはそういうものが織り込まれていないだろうか。
面白い考え方なんだけど、ストーリービューに対してプライバシー侵害の裁判が起きてたりするんで必ずしもそうだとは言えないのかな、とも思う
単純すぎるなぁ。アメリカでも Gated Community は当然street viewされない。試してみるとわかるよ> http://en.wikipedia.org/wiki/Category:Gated_communities 安全は金で買うのが今のアメリカ。
プライベート空間/コミュニティ空間/パブリック空間|あらゆる場所をパブリック領域へと編入させてゆくストリート・ビュー機能
15
日本の「みんな」の概念は確かに違う気がする。米国は宗教的に「みんな」がすごい理解しやすいはず。日本人はよく「みんながそう言うから」とか言うけど、あれって「自分の周りのコミュ員全員が」の意味だもんな。
[PR]今話題のハプニングバーを紹介します
はてなブックマークの中から「これはひどい」エントリーを取り上げて、Digg風に表示したサイトです。より人の為になるこれはすごいバージョンもあります。
はてブで「これはひどい」タグを付けると投票としてカウントされ、コメントを書き込むとコメントとして反映されます。はてな認証APIによる投票にも対応しています。
コメント
『安心社会から信頼社会へ - 日本型システムの行方』山岸俊男
頭で分かっても感覚で信頼社会への移行を受容できないと難しいと思う。さらには、プライベートなシーンを2ちゃんに流した奴はいっぱい居たわけで、そういうことされるのが嫌なら一般的信頼をしないのは妥当だし。
"日本人が安心できるのは、何らかのコミュニティの内部で相互監視による抑制が働いている場面のみで、その枠が無い時は、日本人は他人を信頼できないという"
信頼というのは合理性というより一貫性で得られるもんですよ。アメリカで宗教的倫理感が重視されるのも一貫性があるから。
”日本にはコミュニティの外部にある「みんな」という概念がなくて、「パブリック」という概念を本当の意味では理解してないのである。”
安心社会での他人は「他人」という名の、人間とは別種の得体の知れない生き物。
今までとはまったく違うタイプの外圧。原理的に不可避。Googleが神に近づいた瞬間か。/でもYahoo! Japanに勝つのはまだ遠そうとも思わせる。/安心⇔信頼は性悪説⇔性善説っぽいな。
ちくしょう・・・全部読んでやる!
本
日本人は他人を「信頼」してないけど「安心」している。アメリカ人は「安心」してないけど「信頼」している。
//グーグルのサービスはストリートビューに限らず、「パブリック」な領域を広げ、不特定多数の他人への「信頼」を強制する性質があるので、「安心社会」とは相性が悪い。//日本峡には第三者という概念がない。私と貴
安心なのか、信頼なのか。
[Japan] [Google]
|「安心」は、道ゆく人が社会から暗黙の規制を受けていると思うことで、「信頼」とは、規制されてなくても人間というものは普通悪いことはしないと思うこと| を軸に、日本とアメリカのズレを語っている。
ふすまから壁、引き戸からドアになった時になんらかの変革はあったんだろうなあとは思う。/あれ、てことは日本教って文人マター?
わかりやすいまとめ。/日本教に興味が沸いた。
本に興味を持った。わたしはなぜ西洋が信頼社会になれたのか興味があるが。
日本教にプライバシー尊重の概念が導入されたのはいつだろう。いまだに過渡期のようにも思うし
『安心社会から信頼社会へ—日本型システムの行方 』(中公新書)〈日本人が安心できるのは、何らかのコミュニティの内部で相互監視による抑制が働いている場面のみで、その枠が無い時は、日本人は他人を信頼できない〉
「知らない人を信頼する度合いが、アメリカより日本の方が低い」 / 日本人が自分ちの庭をオープンにできるのは「安心」しているからであって「信頼」しているからではない / 「安心社会」への執着には根深いものがある
ソーシャルキャピタル
日本社会はプライベートとコミュニティの区別があいまい。プライベート以外はコミュニティなものとして。パブリックはお上的規制として理解されている、と。個人主義と公共性、公共性と経済性、江湖、寄り合い権辺り
日本と海外では「パブリック」の感覚が違うと思っていたが、お上のものだったとは。なるほど。
ユーザのリアクションを見る限り今のところどこをどー信頼しろというのか。/信頼社会/最近モノスゲー勢いで物凄くいろんな方向に格差が生まれてないか?金の問題だけでなく。
感覚の違い
日本人は他人を「信頼」してないけど「安心」している。アメリカ人は「安心」してないけど「信頼」している。
山岸センセはオモロイよね
コミュニティ
まあ社会的確実性を強化していくという意味では安心社会を目指すのも決して逆行ではないと思うけど/言及:http://kd1.blog103.fc2.com/blog-entry-183.html
日本だけが特殊なのか?例えば、ヨーロッパは?アメリカの感覚がおかしくないか?という疑念は必要だと思う。
A,B,Cの説明がしっくりきた。
日米における空間と安心、信頼についての考察
民家の玄関しか並んでない袋小路にうっかり迷い込んでしまうと、道路なのに妙に恥ずかしいという感覚。
"日本では「みんなのもの」と言う時には「コミュニティのもの」を意味していて、「パブリック」という言葉は「お上のもの」という風に理解されているのではないだろうか"
パブリックの概念とか。 / 日本人は「信頼」してないのに、「安心」してしまうバカという話。←違うかも。
なんで究極の二択みたいになってんだか
ネットワークにおける2ステップ以上への想像力というか、その意味をもっと考えられればよいのだろうと思う。ネットワーク論からは、単純にパブリック・コミュニティ・プライベートを分けられない。
「「パブリック」という言葉は「お上のもの」という風に理解されている」<言い得て妙だなw。これはやられた。確かに本来であれば、社会的信頼は教育においては根付かせるべき課題。Googleは日本社会に期待しすぎかも
日本人は人に見られていない所で悪い事をするからなあ。
日本という括りはおお雑把だと思っていて、僕には "路地"="コミュニティ" という意識はあんまりないなあ。新し目の住宅地(杉並区なんだけど)、アパート住まい(町内会未加入)、20代、という環境によるのかもしれないが。
「知らない人を信頼する度合いが、アメリカより日本の方が低い」/閉鎖的な田舎も路地の奥もこじ開けられる。
「下町の人情」とかは、よそ者を排斥する文化でもあったんだな…。アメリカ人も十分信頼し合ってるとは思えない。「信頼」性の高い社会へ移行するにはどうすればよいのやら…「Google webCamera」的な監視社会への移行?
むしろわかりやすい説明のお手本として。
Public-Community-Privateの説明に目から鱗。アメリカではコミュニティを「公」の中に見出そうとするけど、日本じゃあくまで「私」の延長なんだよね。/梅田式webオプティミズムが日本で浸透しにくいのも、この辺りなのかな。
"日本では「みんなのもの」と言う時には「コミュニティのもの」を意味していて、「パブリック」という言葉は「お上のもの」という風に理解されているのでは" ほか
A、B、Cの境界線の説明がわかり易かった。
今まで、上限設定的な規制のもとで、ようやく何とか安心できていた「底辺の人達」にとっては、これからどんどん暮らしにくくなっていくのでしょうね。
どうしても地縁を捨てきれない日本
PrivateとPublicの切れ目と公私の切れ目と違い。Googleに申し入れるときに考慮しないといけない。シリコンバレーは「見ず知らずの人間でも信頼できる」ということを一億二千万人もの人たちにわからせたのだ」を目指す
これもやっぱりキリスト教社会との違いみたいな話になるんだろうか
なんてすっきりとした説明。
日本人が他者を信頼していないのは本当。だから、アパートを借りるにも保証人が必要だし、個人事業主が顧客企業と契約を結ぶのも難しい。組織に属していない個人にめっぽう冷たいのが日本社会の特徴。
アメリカ人の場合、キリスト教という担保があることも無視出来ないと思う。高偏差値の大学生の担保は“築き上げた知識”のようなものじゃないかと思う。
「日本人が安心できるのは、何らかのコミュニティの内部で相互監視による抑制が働いている場面のみで、その枠が無い時は、日本人は他人を信頼できないという。」
安心と信頼と、ストリートビューへの反応。定義がいまいち分からん、後で読もう。
気になっていたこの路上喫煙の話と関係ありや否や http://d.hatena.ne.jp/kmiura/20080212#p1
「安心」は、道ゆく人が社会から暗黙の規制を受けていると思うことで、「信頼」とは、規制されてなくても人間というものは普通悪いことはしないと思うこと
お見事!
「日本にはコミュニティの外部にある「みんな」という概念がなくて、「パブリック」という概念を本当の意味では理解してない」重要/信頼社会に移行する前に仕組みだけ強制したら相互監視社会になってしまうのでは?
判子社会から契約社会への移行とも、言う
「米国では「パブリック」であるということは「みんなのもの」ということになるのだけど、日本では「みんなのもの」と言う時には「コミュニティのもの」を意味していて、「パブリック」は「お上のもの」と」お上?
正直なところ、数日あれば地球の裏側から日本の路地にこれる現在、安心を求め続けるのは不可能だよなぁ。
アメリカって自衛のための武装は当然、みたいな社会じゃなかったんですか?
ああ、これはありそうだなあ。生活道路は撮影すべきじゃないって意見もあったけど、その根っこはここかー
相手を信頼するためには、相手は合理的な行動をするだろうという推測が必要。日本では、それが成り立たない。ゲーム理論よりも「恥の文化」や「…」が優先される。"…"部は考え中(^^;
日本語には"public"に相当する訳語が無い。「公」は誰かの「私」に過ぎない。日本でのストリートビューへの拒否感にはそういうものが織り込まれていないだろうか。
面白い考え方なんだけど、ストーリービューに対してプライバシー侵害の裁判が起きてたりするんで必ずしもそうだとは言えないのかな、とも思う
単純すぎるなぁ。アメリカでも Gated Community は当然street viewされない。試してみるとわかるよ> http://en.wikipedia.org/wiki/Category:Gated_communities 安全は金で買うのが今のアメリカ。
プライベート空間/コミュニティ空間/パブリック空間|あらゆる場所をパブリック領域へと編入させてゆくストリート・ビュー機能
15
日本の「みんな」の概念は確かに違う気がする。米国は宗教的に「みんな」がすごい理解しやすいはず。日本人はよく「みんながそう言うから」とか言うけど、あれって「自分の周りのコミュ員全員が」の意味だもんな。