森達也の『A』『死刑』は読んで損はない本だと思うけど、現場や事実に著者がじかに触れてあの結論が導き出されたことを意識して読まねばならないと思った。
森達也さんのいう「ぜったい」の主語は「僕ら」「この社会」のほうでは?
全然関係ないけど、「森達也という人」という表現が気になった。江川昭子にしても森達也にしても、オウムの話の時には欠かせないジャーナリストであって、互いの存在を知らないとは考えられない。嫌らしい表現だ。
新實が誰かに書かされている可能性も?
だがネット見てると大量の「お前がそれ言うか!」に巡り逢う。むしろ「新實に指摘されちゃ世の中おしまいだろ」と捉えるべき。間違った口から真実がでる事だってある。他人を反省させようという発想も正気とは思えん
森達也はクソファック野郎である件について。
森達也という人
多くの人の命を奪い、傷つけ、今なおたくさんの人々を苦しめている。そういう人が、過去の偉人の言葉を勝手に借用し、加害者を「ゆるすことができない」被害者や多くの人たちを「弱い者」とさげすんでいるのだ。
ポジショントークとみた。立場によって絵が違う風に思う。だから何も言えない。
手紙と資料の引用でページを稼ぐ、いつもの森達也。 それにしても、新實智光の手紙とはなぁ
森達也「という人」という表現で腐すのはどうなのか。知らない仲じゃないはずだが
江川のほうが。 新実への敵愾心と森の発言への批判がごっちゃになってる。
殺人鬼が一丁前に日本の将来を心配するな。反省してないんだな。
報復はともかく憎悪すらも許されない、か…
ひどすぎる。死刑反対派はこんなおかしな連中ばっかりが目立つ。いったいどういうことなんだ
死刑に反対するのであれば被害者の憎しみを背負えよ。それができないのなら死刑に反対するな。被害者や遺族を責めるなど言語道断。死刑を失くすなら社会全体で被害者、遺族の悲しみと憎しみを背負い償うべき。
新實智光のにやけた気持ちの悪い光を放つ目,あの顔は絶対に忘れない。思った通りの人間だった。森達也,この名前も覚えておこう。江川さん久しぶりに見事なエントリ。
論旨のすり替え。「ぜったいに違う位相のはず」=「別の話だろJK」という、感情論と議論を切り分けろという話を「ぜったいに許されない」=「被害者黙れ」という情緒の話にひとまとめにするのは卑怯なやり口だ。
違和感。自分の身内が殺されたら犯人の死刑を願うかもしれないがその場合は、そのことのよって人殺し呼ばわりされることは覚悟の上でありたい。主観的にそれが正義でも人を死に追いやろうとすることである自覚を。
死刑廃止論は否定しないけど、それをもって被害者やその団体を指して批判するのはどうかと思う。第三者である身が死刑に反対するなら、その怒りや悲しみを死刑以外の形で消化する術を模索すべきかと。
ジャーナリストとしての江川昭子はオウムに殺されたんだなぁ/最近の森達也には確かに違和感があるけど、「A」の時の、森の問題意識は確かに共有できた
森達也が自分の都合のいいことのみを取り上げるってのは時々指摘されてるよなー。そういう意味ではその通りだとは思うが
結局のところ、心情にいきつくのだろうか。
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コメント
森達也の『A』『死刑』は読んで損はない本だと思うけど、現場や事実に著者がじかに触れてあの結論が導き出されたことを意識して読まねばならないと思った。
森達也さんのいう「ぜったい」の主語は「僕ら」「この社会」のほうでは?
全然関係ないけど、「森達也という人」という表現が気になった。江川昭子にしても森達也にしても、オウムの話の時には欠かせないジャーナリストであって、互いの存在を知らないとは考えられない。嫌らしい表現だ。
新實が誰かに書かされている可能性も?
だがネット見てると大量の「お前がそれ言うか!」に巡り逢う。むしろ「新實に指摘されちゃ世の中おしまいだろ」と捉えるべき。間違った口から真実がでる事だってある。他人を反省させようという発想も正気とは思えん
森達也はクソファック野郎である件について。
森達也という人
多くの人の命を奪い、傷つけ、今なおたくさんの人々を苦しめている。そういう人が、過去の偉人の言葉を勝手に借用し、加害者を「ゆるすことができない」被害者や多くの人たちを「弱い者」とさげすんでいるのだ。
ポジショントークとみた。立場によって絵が違う風に思う。だから何も言えない。
手紙と資料の引用でページを稼ぐ、いつもの森達也。 それにしても、新實智光の手紙とはなぁ
森達也「という人」という表現で腐すのはどうなのか。知らない仲じゃないはずだが
江川のほうが。 新実への敵愾心と森の発言への批判がごっちゃになってる。
殺人鬼が一丁前に日本の将来を心配するな。反省してないんだな。
報復はともかく憎悪すらも許されない、か…
ひどすぎる。死刑反対派はこんなおかしな連中ばっかりが目立つ。いったいどういうことなんだ
死刑に反対するのであれば被害者の憎しみを背負えよ。それができないのなら死刑に反対するな。被害者や遺族を責めるなど言語道断。死刑を失くすなら社会全体で被害者、遺族の悲しみと憎しみを背負い償うべき。
新實智光のにやけた気持ちの悪い光を放つ目,あの顔は絶対に忘れない。思った通りの人間だった。森達也,この名前も覚えておこう。江川さん久しぶりに見事なエントリ。
論旨のすり替え。「ぜったいに違う位相のはず」=「別の話だろJK」という、感情論と議論を切り分けろという話を「ぜったいに許されない」=「被害者黙れ」という情緒の話にひとまとめにするのは卑怯なやり口だ。
違和感。自分の身内が殺されたら犯人の死刑を願うかもしれないがその場合は、そのことのよって人殺し呼ばわりされることは覚悟の上でありたい。主観的にそれが正義でも人を死に追いやろうとすることである自覚を。
死刑廃止論は否定しないけど、それをもって被害者やその団体を指して批判するのはどうかと思う。第三者である身が死刑に反対するなら、その怒りや悲しみを死刑以外の形で消化する術を模索すべきかと。
ジャーナリストとしての江川昭子はオウムに殺されたんだなぁ/最近の森達也には確かに違和感があるけど、「A」の時の、森の問題意識は確かに共有できた
森達也が自分の都合のいいことのみを取り上げるってのは時々指摘されてるよなー。そういう意味ではその通りだとは思うが
結局のところ、心情にいきつくのだろうか。