ブクマコメントについて、「不作為」にも起こったことに誰も責任を取れないという欠陥がある。ポル・ポトやヒトラーは「責任者」だからこれだけ批判されているのだが、自由主義の国に「責任者」は常に非在。
共産主義による殺戮の大半は「作為」。他方自由主義ほとんどは「不作為」による犠牲。/作為犯と不作為犯どちらが重罪か。そして、作為的な殺戮はどちらが多かったか。/開発独裁なんかポルポトで吹っ飛ぶ
「旧ソ連の共産主義は人類にヘリコプターとテルミンとテトリスをもたらしてくれた」と言うと「それ共産主義関係無いし」と返ってくるので、そこで「♪そうだよ?虐殺も共産主義と関係無いよ?♪」と言えばOK
労働活動もそれなりにあり、一億層中流だった少し昔の日本を訪れたワレサ氏が、アキバだったかの店頭や人々を見て「これこそが共産主義の理想だ」と褒めた(?)事例もあるね、そういや(<遠い目)。
『自由主義の名の下に殺された人、現在進行形で殺されつつある人のことにもほとんど言及しない。たまに言及すると、「そんなことに言及する奴は共産主義者だ」とDISる』
id:mojimojiによる言及。全体主義と共産主義の差異についていちいち言及しなければならないような相手は放置したいところだが、時々こうやって言及しなければならないのは疲れる。
資本主義は生産性の低い人は食えなくていいとか言いますし
「共産主義」というか実際に虐殺したのはスターリンや毛沢東やポルポトだけど。スターリンと毛沢東とでは虐殺の性質も違うし/ただ、レーニン主義の理念に非人道的行為を正当化し易いロジックはあると思う
それを言うなら真っ先に宗教が来るような
現代史においては共産主義の虐殺がその規模と徹底性において突出しているのは事実。資本主義においては搾取が目的であって教化は手段。宗教や共産主義は教化が目的。
社会主義のキューバとか医療や教育が無料なわけで上の記事のような問題もないわけで・・・。結局は主義ではなく為政者の資質の問題なのかもな国が良くなるかどうかは。
まったくもってその通り / 池田信夫氏の記事のブクマでも書いたけど
↓>id:sjs7 ローベルト・クルツ『資本主義黒書』て本がすでにありますよね
共産主義が誕生する前でも、反共独裁の国々でも、虐殺は行われてきた。人間が別の要因で行う非道な行為を自分が排除したいものに帰責するのも人間か。自らの思想的バイアスで事例の恣意的選択をしてしまうのだろうな
ああ、「い」のつくあの人のことか。
共産主義=全体主義で語られることが多いが、中南米では全体主義=資本主義も成り立つ。
共産主義と全体主義の親和性の高さは歴史的に積み上げられていて、その点「よりよい圧政」である自由主義に対して抗弁しづらいものがある。しかし乍ら、ユートピアとしての共産主義は社会が常に内包する必要がある。
共産主義が抑圧と搾取しかもたらさないのは多くの実例で実証されている。それから目をそらして、無理矢理、他のイデオロギーと同一に見せようと必死。共産主義は人類に悪しかもたらしていない。
共産主義が何ゆえに数々の惨劇を引き起こしたのかに向き合うことは心ある人にとって試金石だと思う。別の言い方をすれば、それこそが資本制を乗り越える急がば回れの道である。
「大躍進」や平成不況は、主義主張体制に拘わりなく経済政策の失敗がどれだけの悲惨を生むかという例。件の記事で俎上に上がった3氏は池田語に言う「一段階の論理」で余計に悲惨を招きかねない点が指弾されている。
そういやそうね。
大義名分を元に虐殺が正当化されたということにかんしては、共産主義に限らないということは同意。ただ、20年近く前まで冷戦があってソ連も存在していたから、共産主義を警戒するひとが多いのも無理がない
日本の学校では、共産主義が弾圧された歴史は習うけど、共産主義が起こした犯罪はほとんど教えてくれないから。
粛清は意図のもとに、虐殺は意図のそとに。見えざる手は民衆のある程度の総和であり、総和だからこそ悪意が薄いんだと思うよ。同じ殺戮と考えるのは暴論じゃないかと思う。
飢餓輸出なんで、資本主義による虐殺じゃんと思うわよ。
おおむね米国のグアンタナモ収容所に目をつぶる人たちでもある >>共産主義の名の下にとにかくたくさんの人が殺されたという歴史に言及する人
確かにそれは池田さんとことか読んだ時に思った。あと、「彼らの善意はわかるが...」とか「地獄への道は善意のレンガで...」あたりの定番フレーズはそろそろ禁止にしてほしい。
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コメント
ブクマコメントについて、「不作為」にも起こったことに誰も責任を取れないという欠陥がある。ポル・ポトやヒトラーは「責任者」だからこれだけ批判されているのだが、自由主義の国に「責任者」は常に非在。
共産主義による殺戮の大半は「作為」。他方自由主義ほとんどは「不作為」による犠牲。/作為犯と不作為犯どちらが重罪か。そして、作為的な殺戮はどちらが多かったか。/開発独裁なんかポルポトで吹っ飛ぶ
「旧ソ連の共産主義は人類にヘリコプターとテルミンとテトリスをもたらしてくれた」と言うと「それ共産主義関係無いし」と返ってくるので、そこで「♪そうだよ?虐殺も共産主義と関係無いよ?♪」と言えばOK
労働活動もそれなりにあり、一億層中流だった少し昔の日本を訪れたワレサ氏が、アキバだったかの店頭や人々を見て「これこそが共産主義の理想だ」と褒めた(?)事例もあるね、そういや(<遠い目)。
『自由主義の名の下に殺された人、現在進行形で殺されつつある人のことにもほとんど言及しない。たまに言及すると、「そんなことに言及する奴は共産主義者だ」とDISる』
id:mojimojiによる言及。全体主義と共産主義の差異についていちいち言及しなければならないような相手は放置したいところだが、時々こうやって言及しなければならないのは疲れる。
資本主義は生産性の低い人は食えなくていいとか言いますし
「共産主義」というか実際に虐殺したのはスターリンや毛沢東やポルポトだけど。スターリンと毛沢東とでは虐殺の性質も違うし/ただ、レーニン主義の理念に非人道的行為を正当化し易いロジックはあると思う
それを言うなら真っ先に宗教が来るような
現代史においては共産主義の虐殺がその規模と徹底性において突出しているのは事実。資本主義においては搾取が目的であって教化は手段。宗教や共産主義は教化が目的。
社会主義のキューバとか医療や教育が無料なわけで上の記事のような問題もないわけで・・・。結局は主義ではなく為政者の資質の問題なのかもな国が良くなるかどうかは。
まったくもってその通り / 池田信夫氏の記事のブクマでも書いたけど
↓>id:sjs7 ローベルト・クルツ『資本主義黒書』て本がすでにありますよね
共産主義が誕生する前でも、反共独裁の国々でも、虐殺は行われてきた。人間が別の要因で行う非道な行為を自分が排除したいものに帰責するのも人間か。自らの思想的バイアスで事例の恣意的選択をしてしまうのだろうな
ああ、「い」のつくあの人のことか。
共産主義=全体主義で語られることが多いが、中南米では全体主義=資本主義も成り立つ。
共産主義と全体主義の親和性の高さは歴史的に積み上げられていて、その点「よりよい圧政」である自由主義に対して抗弁しづらいものがある。しかし乍ら、ユートピアとしての共産主義は社会が常に内包する必要がある。
共産主義が抑圧と搾取しかもたらさないのは多くの実例で実証されている。それから目をそらして、無理矢理、他のイデオロギーと同一に見せようと必死。共産主義は人類に悪しかもたらしていない。
共産主義が何ゆえに数々の惨劇を引き起こしたのかに向き合うことは心ある人にとって試金石だと思う。別の言い方をすれば、それこそが資本制を乗り越える急がば回れの道である。
「大躍進」や平成不況は、主義主張体制に拘わりなく経済政策の失敗がどれだけの悲惨を生むかという例。件の記事で俎上に上がった3氏は池田語に言う「一段階の論理」で余計に悲惨を招きかねない点が指弾されている。
そういやそうね。
大義名分を元に虐殺が正当化されたということにかんしては、共産主義に限らないということは同意。ただ、20年近く前まで冷戦があってソ連も存在していたから、共産主義を警戒するひとが多いのも無理がない
日本の学校では、共産主義が弾圧された歴史は習うけど、共産主義が起こした犯罪はほとんど教えてくれないから。
粛清は意図のもとに、虐殺は意図のそとに。見えざる手は民衆のある程度の総和であり、総和だからこそ悪意が薄いんだと思うよ。同じ殺戮と考えるのは暴論じゃないかと思う。
飢餓輸出なんで、資本主義による虐殺じゃんと思うわよ。
おおむね米国のグアンタナモ収容所に目をつぶる人たちでもある >>共産主義の名の下にとにかくたくさんの人が殺されたという歴史に言及する人
確かにそれは池田さんとことか読んだ時に思った。あと、「彼らの善意はわかるが...」とか「地獄への道は善意のレンガで...」あたりの定番フレーズはそろそろ禁止にしてほしい。